【原発問題】「私はお墓にひなんします ごめんなさい」…緊急時避難準備区域に住む93歳の女性自殺・南相馬市

1 :ラストボーイスカウト@空挺ラッコさん部隊ρ ★2011/07/09(土) 07:50:43.31 ID:???0
 「私はお墓にひなんします ごめんなさい」。福島県南相馬市の
緊急時避難準備区域に住む93歳の女性が6月下旬、こう書き残し、自宅で
自ら命を絶った。東京電力福島第1原発事故のために一時は家族や故郷と
離れて暮らすことになり、原発事故の収束を悲観したすえのことだった。
遺書には「老人は(避難の)あしでまといになる」ともあった。

 女性は同市原町区の静かな水田地帯で代々続く田畑を守り、震災時は
長男(72)と妻(71)、孫2人の5人で暮らしていた。長男によると、
以前から足が弱って手押し車を押していたが、家事は何でもこなし、日記もつけていた。

 第1原発の2度の爆発後、近隣住民は次々と避難を始めた。一家も3月17日、
原発から約22キロの自宅を離れ、相馬市の次女の嫁ぎ先へ身を寄せた。翌日、
さらに遠くへ逃げるよう南相馬市が大型バスを用意し、長男夫婦と孫は
群馬県片品村の民宿へ。長距離の移動や避難生活を考え、長男は「ばあちゃんは
無理だ」と思った。女性だけが次女の嫁ぎ先に残ることになった。

 4月後半、女性は体調を崩して2週間入院。退院後も「家に帰りたい」と繰り返し、
5月3日、南相馬の自宅に戻った。群馬に避難している長男にたびたび電話しては
「早く帰ってこお(来い)」と寂しさを訴えていたという。

 長男たちが自宅に戻ったのは6月6日。到着は深夜だったが、起きていて
玄関先でうれしそうに出迎えた。だが緊急時避難準備区域は、原発事故が再び
深刻化すればすぐ逃げなければならない。長男夫婦が「また避難するかもしれない。
今度は一緒に行こう」と言うと、女性は言葉少なだった。「今振り返れば、
思い詰めていたのかもしれない」と長男は話す。
>>2以降に続く
ソース
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110709k0000m040149000c.html
※遺書全文はリンク先にて

2 :ラストボーイスカウト@空挺ラッコさん部隊ρ ★2011/07/09(土) 07:50:59.35 ID:???0
>>1の続き
 住み慣れた家で、一家そろっての生活に戻った約2週間後の22日。女性が
庭で首をつっているのを妻が見つけ、長男が助け起こしたが手遅れだった。

 自宅から4通の遺書が見つかった。家族、先祖、近所の親しい人に宛て、市販の
便箋にボールペンで書かれていた。家族には「毎日原発のことばかりでいきた
ここちしません」。先立った両親には「こんなことをして子供達や孫達、
しんるいのはじさらしとおもいますが いまの世の中でわ(は)しかたない」とわびていた。

 奥の間に置かれた女性の遺影は穏やかに笑っている。近所の人たちが毎日のように
訪ねてきて手を合わせる。「長寿をお祝いされるようなおばあちゃんが、
なぜこんな目に遭わなければならないのですか……」。遺書の宛名に名前のあった
知人が声を詰まらせた。葬儀で読経した曹洞宗岩屋(がんおく)寺前住職、
星見全英さん(74)は「避難先で朝目覚め、天井が違うだけで落ち込む人もいる。
高齢者にとって避難がどれほどつらいか」と心中を察する。

 取材の最後、長男夫婦が記者に言った。「おばあちゃんが自ら命を絶った意味を、
しっかりと伝えてください」(終わり)

あのとき避難所は―阪神・淡路大震災のリーダーたち
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