2chの怖い話

恐怖新聞

839 本当にあった怖い名無し sage 2005/08/26(金) 09:48:21 ID:o/5UZ+Z/0
ひとがおるけんね

私は46歳の鎌倉富士夫似の男性です。菓子工場で副工場長をしております。
趣味はドライヴです。好きなタイプは長谷川京子ですが、妻は天地真理似(現在の)です
まあ、それはいいとして、これは私が体験した心霊体験です。

仕事柄、なぜか朝の5時には出社するので朝4時には起きます。
起きてまず、すぐにタバコを吸うんですが家の中では禁煙なので外(にわ)に出て吸います。
吸っていると、よくうちに新聞を配りに来る新聞配達の男性に会います。
よくよく見ると若いので「中学生・・・か?」と尋ねると、
「いいえ、高校生です。おハよーごザいマす!!!」と朝っぱらからすがすがしい挨拶をします!
実はここだけの話なんですけど、私も高校生時分新聞配達(朝刊)をしていたんです。
給料は25000円(今だと40000くらいかな)、うち7000円が学費、5000円家に入れ、あとは小遣い。
ですから、彼にはすごく好感が持てたんです。
仕事の関係上、あまったお菓子を黙って持って帰る癖があるので、それを少しだけ
その高校生に与えてあげてました。その都度オウム返しのように「アリガトーゴザイマス!!!」と
いなせな返事をしていました。

840 本当にあった怖い名無し sage 2005/08/26(金) 09:49:39 ID:o/5UZ+Z/0
ところが、クリスマスの日の事です。
いつものように外(にわ)でタバコを吸ってると新聞配達の高校生がやって来ました。
しかしいつもと様子が違います。
ブスーッとした顔で挨拶もせず、乱暴に私の前に新聞を差し出すと、
私が取るか取らないかという間に行ってしまいました。
私も初めは「なんだ、あの態度は。いつもお菓子あげてるのに」とムカつきましたが
そのうんち「ああ、クリスマスだというのに彼女にでも振られたから機嫌が悪いのかな」と
勝手に納得してしまったんです。
それで家に入って新聞を読むと1面見出しにでかでかと「高校生惨殺」と言う言葉が載ってます。
「ふ~ん」と飛ばして、いつも見ているテレビ欄、スポーツ欄、おくやみ欄を見て
仕事に行く準備を始めました。そして時間になり出かけようとゲート(門)をくぐると
変なデブ親父が「おはようございます」と新聞を差し出してきました。
「なんだ、あんた? うちはOO新聞しか取ってないんだぞ」と言うと
「あ、はい、OO新聞ですが・・・」と言うんです。
「いや、もう配ってもらったけど」
「え? きょう担当の子やすんでいて、そんなはずはないんですが・・・」
「???」
しょうがないから、その親父が差し出す新聞受け取りました・・・。確かにOO新聞でした。
新聞折ってあるんですが1面見出しは見ることが出来ます。政治のことでした。
さっきのと違う・・・考えてみれば、見出しに「高校生惨殺」なんて、まず載るはずがありません。
不安になり、さっきキッチンのテーブルに置いていた新聞を見に戻ったんですがありません。
すでに起きていた妻に聞くと「そんなのなかった」と言います。
「あり~?」とか思いながらも、遅刻しそうになったので大慌てで出かけました。
そして仕事に夢中になるうちに朝の出来事なんか忘れてしまいました。
↑(ウソ、ホントはパートの若い娘の尻に夢中だった)

841 本当にあった怖い名無し sage 2005/08/26(金) 09:50:55 ID:o/5UZ+Z/0
そして次の日です。
外(ガーデン)でタバコ吸ってると高校生が来ました。
そして、また挨拶なしのブスーュとした顔で乱暴に私に新聞を差し出してきました。
「ぁんだ~ こら~ その態度は~ もうお菓子やらんぞ~」と脅しをかけたんですが
高校生は行ってしまいました。
チッ!とか思って新聞を見ると、また「高校生惨殺」の見出しが!?
「なんで・・・!!?」昨日は飛ばして読んだんですが、今日は見ることにしました。
こんな事が書いてありました。

新聞配達途中の高校生が遺体で発見♪

死後約一週間経過 全身に十六ケ所の刺し傷
右手小指左手中指を損傷 いずれも生活反応あり
表皮剥脱 皮下出血多数 生活反応あり
直接の死因は数回に渡る頭部への打撲 脳髄は三分の二を損失
顔は原形をとどめず 歯形より本人と確認
遺体はXX県OO町の林道脇で発見。

!? OO町っていえばうちの近所じゃないか。しかもすぐ近くには林道があるし
そういえば普段はうちに入れると角曲がっていくのに、昨日今日はまっすぐ行ったぞ!
その先には林道(2kmくらい先)が! もしや・・・

時間になったので出かけようとすると、昨日のデブ親父がうちの家のポストに新聞を入れようとしています。
「今日も休みなの?」
「ええ・・・」そしてぼやくように「無断欠勤、家にも帰ってないそうですよ」
さっきの新聞のこともあるし冗談めいて「どっか死んでんじゃないの?」って言うと
「ハハッ」と愛想笑いして行ってしまいました。

842 本当にあった怖い名無し sage 2005/08/26(金) 09:53:33 ID:o/5UZ+Z/0
そして次の日、また来ました。挨拶なしのブスーュ態度で。
私は言いました。「きみは死んでるんじゃないのか?」
しかし、私のそんな言葉を無視してまっすぐ林道へ行く道に行ってしまいました
見出しもまた「高校生惨殺」です。記事も昨日と一緒。
もしかして本当に死んでいて私に発見されたいのかな?と思い、
その日はズル休みして林道に行く事にしました。年末で忙しいっていうのに。

工場に電話して、もう一回寝て、昼ごろ林道に行きました。
脇の茂みの中をくまなく探したんですが、結局見つかりませんでした。

そして次の日、寝坊してしまい着替えると顔も洗わずに出社しようとすると
デブ親父がいます。そして
「死んでましたよ。自宅の裏のドラム缶の中で。凍死だそうです。
 検視の結果イブの日だそうです。しかしなぜ死んでるってわかったんですか?
 ご主人、もしかして預言者かなんか?」
しかし、私はその日は寝坊してしまい、そんな話聞く暇なかったんで無視して行きました。

これが私が体験した心霊体験です。
なぜこのような事が起こるんでしょうか?
ひと、そして金がはびこる世の中では当たり前のことなんでしょうか?

843 本当にあった怖い名無し sage 2005/08/26(金) 10:01:00 ID:o/5UZ+Z/0
後日談も言いますと、高校生の家がうちの近所だという事がわかったんで
勝手な事ではありますが、私が持って帰ってきたお菓子と
その高校生は狐みたいな目をしていたので(俗に言うつり目)
油揚げを買って(実費、おつとめ品ですけど)高校生の家の裏に投げ入れました。
もちろん嫌がらせではなく供養のためにです。


くる!

ウチの従兄弟の叔母さん(母の姉)はちょっと頭おかしい人でね。
まぁ一言で言うと『時々昔死んだ彼氏が私を呼ぶのよ』
って台詞を親族で飯食ってる時とかに平気で言う人でね。
んで2年くらい前から「離婚したい」が口癖だったんだ。
そいで3月にその叔母さんの娘が大学に合格して
じいちゃん(母方)の家で親族で集まって合格祝いしたんだよ。
んで最初は和やかな雰囲気だったんだけど、暫らくすると
叔母さんがまた「離婚話」を始めてね。旦那子供の前でね。
んで旦那さんはホントすげぇ良い人でどんだけ良い人かってーと
長くなるから割愛すっけど、とにかく出来た人でね。その「離婚話」
ってのがいかに叔母さんの勝手な話かってのは、もう叔母さんの母親
である家のばぁちゃんとじいちゃんが旦那さんに泣いて謝る位なんだ。

そいでまぁ祝いの席で始まった離婚話。
最初はみんな「またかよ...」ってスルー方向だったんだけど
ふと叔母さんの娘の方見るとなんかすげぇ泣きそうだったのね。
もう恥ずかしくてしょうがないみたいな感じね。娘はすごい頑張り屋で
ホント今時珍しい位イイ子でね、普段の彼女知ってるからなんかそれ見たら
スゲェ腹が立ってきてさ、んでじいちゃんも真っ赤になってて今にもブチ切れ
そうだったから「チィキショイ!!俺がやってやるぅ!」って思って
「叔母さんいい加減にしろよ?(中略)みっとも無いぞ?」
的な言葉を言ったわけです。えぇぶちまけましたよ親族代表としてね。

あん時の叔母さんの顔は今でも忘れないね。最初真っ赤になった顔が一気に
真っ青になっててってね。んで俺が喋り終わるや否や
「あんたみたいなガキに何が分かるってのよっ!!」
って超シャウト。ホント内心すげぇ怖かったけど、でも「よく言った!」
って顔してる親族一同の顔見たらここで退いたらダメだと思って
尚も喋り続けるとホント顔面蒼白になってね。ふらつき出したんだ。

んで流石にこれ以上はヤバイかな?って思ったウチのママンが
「それ位で...うん、先に帰ってなさい」
って俺ら子供集を家に戻るように促したのね。
因みにウチとじぃちゃん家は同じ敷地にあってね、徒歩10秒ぐらいなの。
そいで俺と姉貴と弟と従妹とで家に帰って、4人でゲームやってたんだ。
従妹にはホント何度も謝ったんだけど逆に「ありがとう」とか言われて
姉貴と弟には「よく言ったw」とか言われて、正直まんざらでもなかったんだ。
暫らくするとウチのママンが戻ってきてね、開口一番にこう言ったんだよ

マジで一言一句忘れもしない。

「いますぐ荷物まとめておじいさん(親父方)のとこに逃げなさい」

ってね。

「は?何?何かあったの??」
ワクワクが隠せない姉貴と弟の声のトーンとは
超対照的にママン声のトーンは低くてね
とりあえず従妹に遠慮して廊下で2人で話してたんだ。
「あの後はもうアンタに対する罵詈雑言の嵐よ、罵詈雑言
なんてモンじゃないわよ、『殺す』って言ってたわ。もう誰が
何言っても聞きやしないし、今晩おばぁちゃんの家に泊まるみたいだし」

遠くから聞こえる桃鉄のBGM。
あんなに暗く聞こえたのは初めてだった。

とりあえず色々突っ込みたい事もあったけど
「まさかw?」って笑って部屋に戻ったんだ。

その後おじさんが来たり色々あったんだけど
結局11時頃にはおじさんと従妹は叔母さん残して帰ってね。
んで3時ぐらいにはママンもパピーも弟も寝てて
俺と姉貴2人で映画観てたんだ。電気消してね。

そしたら庭の方から砂利の上を歩く音がしてね
もうそん時は前おき無しで俺も姉貴も直感したんだ。

「叔母さんだ...」

映画の音量下げて耳凝らして外の音聞いてると
確実に俺の部屋の窓んとこグルグル回ってんだよ。
最初は面白半分で笑ってた姉貴も急にマジになってさ

「アタシが上手く足止めするから裏口から逃げろ!
んですぐ車庫に行け!こりゃホント冗談じゃないよ」

とか言い出す始末でね。俺も軽くパニくって何かバッグに
下着とか詰め始めてね。とりあえず車のキーと財布と携帯と煙草持って
裏口でスタンバイしたんだ。そんで同時タイミングで外に出る俺と姉。
俺の部屋の窓と車庫は7mぐらいあって、今のままじゃ下手すりゃ
車に乗ろうとすると叔母さんと鉢合わせになっちゃうんだ。
だから物陰に隠れて耳を凝らしていると姉貴の声が

「叔母さんどうしたのこんな時間に?」

そっから先は姉貴の声しか聞き取れなかったけど、なんか段々
声が離れていった感じがしたのね。そんで時折笑い声とかすんの。
さすが姉貴は叔母さんに超好かれてるだけあんな!とか思いながら
ダッシュで車庫に行って車のエンジンをかけたのね、

「よし!行けるっ!」

そう思い、ギアをバックに入れてライトを着けると
ライトの先には物凄い顔をした叔母さんの姿が映ってたんだ。
あの瞬間は本当に背筋が凍った。だってさ...

作業用スコップ持ってたんだもん。

そっから先は鬼バック。急発進。
チャーリーなエンジェルも真っ青なフルスロットル。
近くのコンビニに着いて速攻姉貴に電話をすると

「いやスコップですよw!でもやっぱ完全に殺意の対象はお前のみ。
アタシとか全然笑顔でトークしてたよ。あの酒席で誰もお前の事を
フォローしなかったのは大正解だったねw」

と大爆笑な姉。

「殺意の対象が俺のみじゃなかったらあんな無茶な事しねぇよ」

とか言いつつも内心家族が心配でその日は姉貴と弟に寝ず番を。
もち武装した状態で。そして明け方着いた祖父の家で
自分の車を見てビックリ。

傷だらけ。引っかき傷だらけ。

つか叔母さんさ...

車庫にいたのかよ...

叔母さんはその数日後神奈川だかの病院に入院して
今は退院して元気だそうです。多分。
それまでいろんな心霊スポット行ったりしたけど
生きてる人間が一番怖いです。


躁鬱病の女

はじめに

Tさん、人に話すけど許してください。

この話は、私が大学1回生のときから卒業して1年3ヶ月目に起こった
5年間にわたる長い話です。
長い話ですので、大学時代の経緯は掻い摘んでお話します。

私は大学に入学してすぐ軽音楽部に入部しました。そこにはTさんという
見るからにおとなしそうな女の子がいました。
Tさんはいつも一人で、もくもくとキーボードを弾いていました。
夏休み前のある日、練習場でTさんがおろおろしていたので「どうしたの?」
とたずねました。
「…ヘッドホンを忘れたの…」
「俺、家近くだからとって来てやるよ」

後で聞いた話ですが、これがTさんがサークルに入って初めて交わした会話だったそうです。
思えば、この会話がすべての始まりだったのかもしれません…

その後Tさんと会話した記憶もなく、日々は過ぎてゆき、バレンタイン・デーがやってきました。
私の下宿のポストには、差出人不明の郵便物が入っていました。シガレット・チョコでした。
その当時、お菓子に薬物を混入する事件があったこともあり、気味が悪かったのでそのまま捨てました。

2回生になり、新入生とともに私の同級生のN君とK君が入部してきました。
私はこの二人とはどうも気が合わず、どちらかと言えば避けていました。

その夏の合宿でのことです。夜に宴会をしていると突然Tさんがマイクを握り締め、こう言いました。

「私○○君(私のことです)に遊ばれて捨てられたの!」

私は頭が真っ白になりました。この人はナニを言ってるのだろう?遊ぶって…?
この時点で私とTさんとの間で起こった出来事と言えば、ヘッドホンを貸したことくらいです。
ボーゼンとしていると、N君とK君がTさんを外に連れ出して、なにやら慰めているようでした。

後で聞いた話ですが、Tさんは躁鬱病になっていて、現実と空想の世界との区別があやふやになっていたそうです。

そして3回生になり、私もサークルのスタッフとなりました。このころからTさんはトランキライザーを常用する
ようになり、ワインのビンを片手にキャンパスを歩いている姿が目撃されるようになりました。
顔は薬物のため1.5倍くらいに膨れ上がり、意味不明の言葉を発するため講義中に退出させられることもあったようです。
サークルも休みがちなので、スタッフ代表として彼女の自宅に電話して、今後どうするのかを相談しようと思いました。
電話をとったのは彼女の母親でした。娘が大変迷惑をかけていると何回も詫びておられました。電話の奥で、柱時計の
鐘の音が聞こえたので、なんとなく、Tさんはお嬢様だったんだなぁと思いました。

4回生になり、就職活動が忙しくなったこともあり、サークルにはほとんど顔を出さなくなりました。
うわさでは、Tさんは休学したとのことでした。

そのころから、いたずら電話がかかるようになりました。

…無言

毎日毎日、夜の12時前後に必ずかかってきます。
そのうち、あることに気がつきました。
電話の向こうで柱時計がなっていることを。

卒業後、私は金融機関に勤めましたが、激務のため、1年間でやめてしまいました。
その後、以前バイトしていた社長の世話になり、一軒家にバイトの人たち3人と住むようになりました。

ある日、私は朝から体調を崩し、家で眠っていました。
夜、隣の部屋の子が、「元気か~」とドアを開けました。
目の悪い私は、その子の姿がぼんやりとしか見えません。
なんとなくもう一人後ろにいるようだったので、「誰が来てるの?」とたずねました。
「俺一人や」「ふ~ん」そのときはなんとも思いませんでした。

夜中に目が覚めると、留守番電話にメッセージが残っていました。
再生すると、なんというか、雑音がいっぱい入ったスピーカ・ホンのような状態で、私の大学時代のことをぶつぶつ
いっているようでした。「誰?」「女?」「サークルのこと?」そんなことを思いつつ必死で心当たりを探っていると
電話のベルが突然鳴りました。N君からです。

「Tさんが自殺した。裁断機で左手首を切り落としたらしい」

最初は何のことかさっぱりわかりませんでした。
「そのことで話がある。明日会えないか?」
いつになく真剣だったので、思わず承諾してしまいました。

翌日、N君の下宿にK君と私が集まりました。
N君が私に便箋を差し出し、「読め」と言いました。
そこには紛れもなくTさんの筆跡で、自分は私に捨てられたこと、自分のことでNとKが争っていること、自分は
早く結婚したいこと… およそ事実とはかけ離れたことが書き綴られていました。
K君にも同じような手紙が来ていたのですが、N君は別のところを指差して、「ここを見ろ」とぶっきらぼうに言いました。

自殺があった日が7月2日、手紙の消印が5日…

私は、彼女の死後、両親が投函されていない封筒を見て投函したのだろうと言いました。
そういいながら私はあることに気がついたのです。
留守番電話のメッセージ
タイムスタンプは4日になっていました。
そのことを話そうとした瞬間、N君が「誰?」と叫びました。
玄関のドアがカリカリとなってます。誰かが引っかいているような…
そしてドアがガタガタと揺さぶられ、こじ開けられようとしています。

ギッ

少しあいたドアの隙間に見えたのは、手首までしかない女性の左手でした。

その瞬間、恥ずかしながら私は気絶してしまいました。
気が付くと、N君が「第二春日ビル、第二春日ビル…」とぶつぶつ
つぶやいていました。

あれから6年がたちました。
毎年この時期になると私とK君は墓参りに行きます。
TさんとN君の墓参りです。

N君は3人で集まった日からまもなく、手首を切って亡くなりました。
現場は第二春日ビルという音楽スタジオが入っているビルです。
手にはヘッドホンが握り締められていました。

墓参りの帰り道、K君ぽつんと漏らしました。
「俺さぁ、気が付くと手首をじっと見つめてるときがあるんだよね。
あの合宿の日、Nと一緒にTさん慰めたからなぁ…」

大学2回生の夏合宿で、N君はTさんにこう言ったそうです。
「○○(私)のことは忘れろ。なんかあったら俺を呼べ」

2人の冥福を祈ります。


いざない

その頃、私は海岸近くの住宅工事を請け負ってました。
季節は7月初旬で昼休みには海岸で弁当を食うのが日課でした。
初めは一人で食べに行ってましたが、途中から仲良くなった同年代の下請け職人も
誘って一緒に食べに行くようになりました。

何時ものように海岸に行くと、普段は人気の無い海岸ですが、
その日は10~12歳位の子供が4人程、波打ち際で遊んでました。
ちなみにココの海は遊泳禁止となってはいましたが、私も子供の頃はココで仲間と泳いだりした事もあった
ので特に気にもしませんでした。

その日も海岸で弁当を食おうかと思っていたら、A君が
「今日は日差しが強くて暑いから、現場内の日陰で食おうぜ」
と言って来たので、まぁ確かにその日は特に陽射しが強くて外で食うには暑すぎる、と思ってその場を去りました。
現場内の日陰で弁当を食べていると、何やら外が騒がしい。
パトカーやヘリが飛んでる音も聞こえる。
何だろか?と思って外を見に行こうとAを誘いました。
A「あ~俺は辞めとく。」
私は外が気になって仕方が無いのでAは置いて、他の職人さん達と一緒に野次馬に行きました。

どうやら人だかりが出来ているのは何時も私がAと飯を食っていた海岸でした。
既に集まっていた野次馬に話しを聞いてみると海で遊んでいた子供が一人、波に飲まれて行方不明だと。
確かにさっきまで海岸で遊んでいた子供の数が一人減っていましたT-T

私は後悔しました。
何時も通りこの海岸で弁当を食べていれば、波に飲まれた子供をいち早く発見できたし、
泳ぎにも自信がありましたので、もしかしたら助ける事も出来たのではないかと。

少し後ろめたい気分になってAの所まで戻り、Aに海岸での事を話しました。
「今日もあそこで飯食ってたら、俺らが何か出来たかもしれないよな」
と私が言うとAが
「ははは、無理だって。だから俺は今日あそこで飯食うの嫌だったんよ」

私は意味が解らなかったのでAに詳しく話を聞いてみると
A:「あそこって遊泳禁止なだけあって色々とある訳で、こんな事言うからって変な目で見ないで欲しいんだけど
色々とある訳よ。
お前はソッチ系には疎いみたいだから言わないでおいたんだけど、現場の中で弁当喰った方が涼しいのに
何でお前は毎日海岸で弁当食べたがったの?」
私:「そりゃ、海見ながら外で飯喰った方が美味いと思って・・・。」
A:「その割にはお前は、毎日暑い、暑い言いながら弁当喰って弁当喰い終わったらスグに事務所戻って涼んでただろ?」
そう言われると、確かに海岸で弁当喰い始めたキッカケは海見ながら食べた方が気持ち良いと思ったのですが
2日目以降は、何であんなに日陰も無いクソ暑い場所で弁当を食い続けてたのか我ながら不思議に思いました。

A「”あいつ等”の狙いは初めからお前で、ず~っとお前は”あいつ等”に呼ばれてたんだよ」
私「???」

Aは初めて現場で私に会った時も、私が海にいる”あいつ等”から誘われてるのを感じていたらしい。
とは言ってもそんな事を初対面、しかも元請の監督に真顔で話しても馬鹿にされるし、
下手したら追い出されるだけなので、毎日弁当に付き合って監視してたらしい^^;

Aは私が”あいつ等”に誘われてるのは解っていたけど、中々その”あいつ等”の姿をAも見ることは出来なかった。
どうやら霊?の方は一方的に私に意識チャンネルみたいな物を合わせ、もっと波際まで引き寄せたがって居るらしかった
のですが、肝心の私が鈍すぎて手こずってたらしい。

A:「だから”あいつ等”は、お前の目の前で子供を海に引き込もうとした訳だ。
”あいつ等”からしたら子供の方が、頭が固いお前と違って誘い易いしな。
そうすれば、お前が子供を助けに海に入ってくる事を知ってたんだなぁ、”あいつ等”は。
まぁ俺が邪魔したから子供が身代わりになっちゃった訳だけど・・・。
今日は”あいつ等”とピッタリ波長が合う子供が遊びに来たせいか、今日は俺の目にもハッキリ”あいつ等”が見えたよ。
俺がお前を海岸から連れ戻した時の奴らの雰囲気は俺もちょっと怖かったよ、本命のお前を連れ戻されて怒ったのかなw」
とAが笑いながら話してくれました。

って・・・そこまで解ってて何で遊んでた子供を放置したのかとAに問いただすと
A「お前は誘われてるクセに何も感じないから、そんな事言えるんだよ。
子供等が遊んでた場所は完全に”あいつ等”の領域入ってたし、お前だってアレが見えるなら絶対近づけないし
関わり持とうなんて思えないって。
お前を海岸から現場内に連れ戻しただけでも俺って勇気あるな、エライな~て思ったよ。
本当凄かったよ、奴らの恨めしいそうな顔。」

Aが言うには、見えない、感じない人は無意識に誘われてる事があると言ってました。
また、誘われてる事にも気が付かないらしい。
だから逆に、見える、感じる人は危ない場所には下手に近づかないらしい。

A「お前だって道路で子供が刃物持ってる男に追いかけられてたら、身を挺して阻止できるか?
普通出来ないよな。
それは関わった後の面倒を知ってるからだ。
それと一緒で俺も見えたからって人助けするほど、俺はお人良しじゃ無い。
相手が人間なら通報する事はできるだろうけど、相手がこの世の者じゃなかったらK察も相手してくれないし。
まぁ面倒事に巻き込まれるのは御免だよ。
でも〇〇君(私の名前)とは気が合ったし、知らん顔して何かあっても気分悪いからね」

この水難事故は夕方のニュースでもチラッと流れました。
私は夜中に気になって海岸まで車で見に行きました。
まだヘリは海岸沿いを飛び回り、沢山の人が灯りを持って海岸を捜索してました。

・・・自分ではお人良しじゃない、と言っていたAでしたが
彼は去年の秋に川で溺れてる子供を助けて自分だけ逝ってしまいました。
2度目は見て見ぬフリは出来なかったのかな・・・。


マネキン

私には霊感がありません。
ですから、幽霊の姿を見たことはないし、声を聞いたこともありません。
それでも、ものすごく怖い思いをたった一度だけ、中学生の時に体験しました。
その話を聞いていただきたいと思います。
 
14歳のころ、父を亡くした私は、母の実家に引っ越すことになりました。
母方の祖父はとうに亡くなっていたので、祖母、母、私と、女3人だけの暮らしとなります。
私は、親が死んだショックから立ち直れないまま、新しい環境に早急に馴染まなくてはいけませんでした。
不安はあったのですが、私の身の上に同情してか、転校先の級友も優しく接してくれました。
特にS子という女の子は、転校してきたばかりの私に大変親切にしてくれ、教科書を見せてくれたり、話相手になってくれたりしました。
彼女と親友になった私は、自然に周囲に心を開いてゆき、2ヶ月もたつころには、みんなでふざけあったり、楽しく笑いあったりもできるようになりました。

さてそのクラスには、F美という、可愛らしい女の子がいました。
私は彼女に何となく心惹かれていました。
もちろん変な意味ではなく、女の子が見ても可愛いなと思えるような、小柄できゃしゃな感じの子だったので、同性として好意を持っていたのです。
(私はちょっと地黒で背も高いので、今考えると、多少の羨望もおそらくあったのだと思います)
好かれようとしていると効果はあるもので、席替えで同じ班になったことからだんだん話すようになり、彼女が母子家庭であることがわかって、余計に親しくするようになりました。
もっともF美の場合は、死に別れたのではなくて、父親が別の女性と逃げたとか、そういうことだったように聞きました。
彼女も女だけで生活しているということを知ったとき、この子と友達になってよかったな、と心底思いました。
ただそれも、彼女の家に遊びにいくまでの短い間でしたが・・・。

その日、私が何故F美の家を訪ねることになったのか、私は覚えていません。
ずいぶん昔の話だからというのもありますが、それよりも、彼女の家で見たものがあまりに強い印象を残したので、そういった些細なことがあやふやになっているのでしょう。
その時S子もいました。
それまでも、S子はF美のことをあまり好いておらず、私が彼女と仲良くすることを好ましくは思っていないようでした。
それなのに何で彼女がついて来たのか、私には思い出せません。しかしとにかく、学校の帰り、家が全然別の方向なのにもかかわらず、私とS子は何かの用事でF美の家に寄ったのでした。

彼女の家は、正直古さの目立つ平屋で、木造の壁板は反り返り、庭はほとんどなく、隣家との間が50センチもないような狭苦しい場所にありました。
私はちょっと驚きましたが、おばあちゃんの家も年季は入っていますし、家計が苦しいのはしょうがないだろう、と思って自分を恥ずかしく思いました。
「おかあさん」
F美が呼ぶと、少ししわは目立つものの、奥からにこやかな顔をしたきれいなおばさんが出てきて、私とS子に、こちらが恐縮するほどの、深々としたおじぎをしました。
洗濯物をとりこんでいたらしく、手にタオルや下着を下げていました。

「お飲み物もっていってあげる」

随分と楽しそうに言うのは、家に遊びに来る娘の友達が少ないからかもしれない、と私は思いました。
実際、F美も「家にはあんまり人は呼ばない」と言ってましたから。
もしF美の部屋があんまり女の子らしくなくても驚くまい、と私は自分に命じました。
そんなことで優越感を持ってしまうのは嫌だったからです。
しかし、彼女の部屋の戸が開いたとき、目にとびこんできたのは、予想もつかないものでした。

F美がきれいだということはお話ししましたが、そのぶんやはりお洒落には気を使っているということです。
明るい色のカーテンが下がり、机の上にぬいぐるみが座っているなど、予想以上に女の子らしい部屋でした。
たった一点を除いては。
部屋の隅に立っていて、こっちを見ていたもの。

 マネキン。

 それは間違いなく男のマネキンでした。
 その姿は今でも忘れられません。
両手を曲げて縮め、Wのかたちにして、こちらをまっすぐ見つめているようでした。
マネキンの例にもれず、顔はとても整っているのですが、そのぶんだけその視線がよけい生気のない、うつろなものに見えました。

マネキンは真っ赤なトレーナーを着、帽子を被っていました。
不謹慎ですが、さっきみたおばさんが身につけていたものよりよほど上等なもののように思えました。
「これ・・・」
S子と私は唖然としてF美を見ましたが、彼女は別段意外なふうでもなく、マネキンに近寄ると、帽子の角度をちょっと触って調節しました。
その手つきを見ていて私は、

鳥肌が立ちました。

「かっこいいでしょう」
F美が言いましたが、何だか抑揚のない口調でした。
その大して嬉しそうでもない言い方がよけいにぞっと感じました。

「ようこそいらっしゃい」
といいながら、トレーにケーキと紅茶を乗せたおばさんが入ってきて、空気が救われた感じになりました。
私と同じく場をもてあましていたのでしょう、S子が手を伸ばし、お皿を座卓の上に並べました。
私も手伝おうとしたのですが、お皿が全部で4つありました。あれ、おばさんも食べるのかな、と思い、ふと手が止まりました。
その時、おばさんがケーキと紅茶のお皿を取ると、にこにこと笑ったままF美の机の上におきました。
 
それはマネキンのすぐそばでした。

とんでもないところに来た、と私は思いました。
服の中を、自分ではっきりそれとわかる、冷たい汗が流れ続け、止まりませんでした。
F美はじっと、マネキンのそばに置かれた紅茶の方を凝視していました。
こちらからは彼女の髪の毛しか見えません。
しかし、突然前を向いて、何事もなかったかのようにフォークでケーキをつつき、お砂糖つぼを私たちに回してきました。

私はよほどマネキンについて聞こうと思いました。
彼女たちはあれを人間扱いしているようです。
しかもケーキを出したり、服を着せたりと上等な扱いようです。ですが、F美もおばさんも、マネキンに話しかけたりはしていません。
彼女たちはあれを何だと思っているのだろう?と考えました。
マネキンの扱いでは断じてありません。
しかし、完全に人だと思って、思い込んでいるのだとしたら、「彼」とか「あの人」とか呼んで、私たちに説明するとかしそうなものです。
でもそうはしない。
その、どっちともとれない中途半端な感じが、ひどく私を不快にさせました。
私がマネキンのことについて尋ねたら、F美は何と答えるだろう。
どういう返事が返ってきても、私は叫びだしてしまいそうな予感がしました。

どう考えても普通じゃない。

何か話題を探しました。
部屋の隅に鳥かごがありました。
マネキンのこと以外なら何でもいい。
普通の、学校で見るようなF美を見さえすれば、安心できるような気がしました。

「トリ、飼ってるの?」
「いなくなっちゃった」
「そう・・・かわいそうね」
「いらなくなったから」

まるで無機質な言い方でした。
飼っていた鳥に対する愛着などみじんも感じられない。

もう出たい、と思いました。
帰りたい、帰りたい。
ここはやばい。
長くいたらおかしくなってしまう。

その時「トイレどこかな?」とS子が立ち上がりました。
「廊下の向こう、外でてすぐ」とF美が答えると、S子はそそくさと出ていってしまいました。
そのとき正直、私は彼女を呪いました。
私はずっと下を向いたままでした。
もう、たとえ何を話しても、F美と意思の疎通は無理だろう、ということを確信していました。
ぱたぱたと足音がするまで、とても長い時間がすぎたように思いましたが、実際にはほんの数分だったでしょう。
S子が顔を出して「ごめん、帰ろう」と私に言いました。
S子の顔は青ざめていました。
F美の方には絶対に目を向けようとしないのでした。
「そう、おかえりなさい」とF美は言いました。
そのずれた言い方に卒倒しそうでした。

S子が私の手をぐいぐい引っ張って外に連れ出そうとします。
私はそれでもまだ、形だけでもおばさんにおいとまを言っておくべきだと思っていました。
顔を合わせる勇気はありませんでしたが、奥に声をかけようとしたのです。
F美の部屋の向こうにあるふすまが、20センチほど開いていました。
「すいません失礼します」
よく声が出たものです。
その時、隙間から手が伸びてきて、ピシャッ!といきおいよくふすまが閉じられました。
私たちは逃げるようにF美の家を出ていきました。

帰り道、私たちは夢中で自転車をこぎ続けました。
S子が終始私の前を走り、1メートルでも遠くへいきたい、とでもいうかのように、何も喋らないまま、自分たちのいつもの帰り道まで戻っていきました。
やっと安心できると思える場所につくと、私たちは飲み物を買って、一心不乱にのどの渇きをいやしました。
「もう付き合うのはやめろ」とS子が言いました。
それは言われるまでもないことでした。
「あの家、やばい。F美もやばい。でもおばさんがおかしい。あれは完全に・・・」
「おばさん?」
トイレに行った時のことをS子は話しました。

S子がF美の部屋を出たとき、隣のふすまは開いていました。
彼女は何気なしに通りすぎようとして、その部屋の中を見てしまったそうです。
 
マネキンの腕。
腕が、畳の上に4本も5本もごろごろ転がっていたそうです。
そして、

傍らで座布団に座ったおばさんが、その腕の一本を、狂ったように嘗めていたのです。
 
S子は震えながら用を足し、帰りにおそるおそるふすまの前を通りました。
ちらと目をやると、こちらをじっと凝視しているおばさんと目が合ってしまいました。
つい先刻の笑顔はそのかけらもなくて、目が完全にすわっています。
マネキンの腕があったところには、たたんだ洗濯物が積まれてありました。
その中に、男もののパンツが混じっていました。
「マ、マネキンは・・・?」
S子はついそう言って、しまったと思ったのですが、おばさんは何も言わないまま、S子にむかって、またにっこりと笑顔を見せたのでした。
彼女が慌てて私を連れ出したのはその直後のことでした。

あまりにも不気味だったので、私たちはF美が喋って来ない限り、彼女とは話をしなくなりました。
そして、だんだん疎遠になっていきました。
この話をみんなに広めようか、と考えたのですが、とうてい信じてくれるとは思えません。
F美と親しい子にこの話をしても、傍目からは、私たちが彼女を孤立させようとしているとしか思われないに決まっています。
特にS子がF美とあんまり仲がよくなかったことはみんな知っていますから・・・。

F美の家にいったという子にこっそり話を聞いてみました。
でも一様におかしなものは見ていない、と言います。
だから余計に、私たちに状況は不利だったのです。
ただ一人だけ、これは男の子ですが、そういえば妙な体験をした、という子がいました。

F美の家に言ってベルを押したが、誰も出てこない。
あらかじめ連絡してあるはずなのに・・・と困ったが、とにかく待つことにした。
もしかして奥にいて聞こえないのか、と思って戸に手をかけたら、ガラガラと開く。
そこで彼は中を覗き込んだ。

ふすまが開いていて(S子が見た部屋がどうかはわかりません)、部屋の様子が見えた。
浴衣を着た男の背中が見えた。
向こうに向いてあぐらをかいている。
音声は聞こえないが、テレビでもついているのだろう、背中にブラウン管かららしい、青い光がさして、ときおり点滅している。だが何度呼びかけても、男は振り返りもしないどころか、身動き一つしない・・・。
気味が悪くなったので、そのまま家に帰った。

F美の家に男はいないはずです。
たとえ親戚や、おばさんの知り合いであったところで、テレビに背中をむけてじっと何をしていたのでしょう?
それとも、男のパンツは彼のだったのでしょうか。

もしかしてそれはマネキンではないか、と私は思いました。
しかし、あぐらをかいているマネキンなどいったいあるものでしょうか。
もしあったとすれば、F美の部屋にあったのとは別のものだということになります。

あの家にはもっと他に何体もマネキンがある・・・?
私はこれ以上考えるのはやめにしました。

あれから14年がたったので、今では少し冷静に振り返ることができます。
私は時折、地元とはまったく関係ない所でこの話をします。
いったいあれが何だったのかは正直今でもわかりません。
もしF美たちがあれを内緒にしておきたかったとして、仲の良かった私だけならまだしも、なぜS子にも見せたのか、どう考えても納得のいく答が出ないように思うのです。

そういえば、腕をWの形にしているマネキンも見たことがありません。
それでは服は着せられないではないですか。
しかしあの赤い服は、マネキンの身体にピッタリと合っていました。
まるで自分で着たとでもいうふうに・・・

これが私の体験のすべてです。

慣れてなくて、切れ目が多くなってしまいました。ごめんなさい。
あのマネキンの家がどうなったかはわたしも知りません。
母親が再婚して別の家に移ってしまったので・・・

心霊話じゃなくて、あんまり恐くないかもしれませんけど、あの時ほど恐くなったことはありませんでした。


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