Archive for 4月, 2011

急患

おれが当直だった夜に、急患でおれは叩き起こされた。
急変とかで、まあよくあることだ。

処置室に行くとちょうど患者が救急車で病院に着くときだった。
救急車からストレッチャーで下ろされたのは、真っ黒に焦げた死体(にみえた)
だった。救急車のスタッフにきくと、交通事故をおこしたドライバーで
引火した車のなかで取り残されたらしい。50代位の男性だった。

一応、生きてはいるが、そりゃもう表面なんかコゲコゲで肉の焼ける
においがあたりに立ちこめ、俺はもう吐き出しそうになった。
全然動く気配もない。もう時間の問題だ。

「すごいですよ。一応心停止してません。まあ、もうだめでしょうけど」

と救急隊員は言った。

医師も

「あー、こりゃすごいね」と言って治療をする気もなさそうだ。

「ひどい・・・・」看護婦も目が怯えていた。

俺は一応検査をするための準備にかかった。
機器を用意している部屋に入って準備をしていたら、その黒こげの患者が運ばれてきた。
おれは腕に検査の為に針を刺すのでその患者の血管をさがしたが
表面が黒こげでどこに血管があるか分からなかった。

「あー、これ、メチャクチャでどこだか分かんないよ」と俺は言った。
皮膚のまともなとこを探そうと腕をつかんだとき、その黒こげ患者が言った。

「・・・そんなに私、ひどいんですか・・・・」

「あ、あ」

俺は声にならなかった。ずっと意識はあったんだ。
今までの俺達の会話を聞いていたんだ。


大司令症候群って・・・

Q: 私は27歳女性です。【0580】あやつり人形のように体を動かされたという体験をしましたで、林先生はさせられ体験であると回答されていました・・・。
それは医学のお立場からの回答と思われますが、間違っています。正しい知識をみなさまにお伝えするため、私はこのメールを書きました・・・。

あれは、大司令症候群のテレパシーです。
本当に視線を意思的に動かされ、行動を命令されます。
実際、ラジオやテレビ、放送塔のような感じで脳内に命令します。

わたしも、あるボランティア活動のリーダーをしていましたが、
吸殻や空き缶や司令には、うるさく口を挟みました。
そんな、口を出すんだったら、自分でしろ!って言ってやりました。
司令されっぱなしは危険です。

しかし、相手のこころを変えることができます。
みんな、パニックになってしまい、それどころではナイのだと思います。
本当に、その状態が三日も続いたらバテてしまうでしょう。

だけど・・・
私はがんばりました。
分裂症のお薬は脳を鈍感にすることを前提にしています。
しかし、お薬を飲み続けてしまうと副作用で、家事も育児も仕事もできなくなってしまいました・・・。
必要とされないこと。それがさらにどんどん自分を壊して崩れていきました・・・。

ある日決めました・・・。
声達をコントロールして仕事に復帰すると・・・。
そのときは一桁の足し算もできない脳の状態でした・・・。
お薬の副作用です・・・。
しかし私は意志が強かったのでお薬をやめました・・・。
副作用の世界で生きるか?自分のやりたいことが出来るか?
自分のやりたい事を選びました。
おかげで質はちがいますけれど症状は児童の頃からです。
今回は、一番強い電撃反応会話でした。

いろいろな画面を相手に見せてあげることにより・・・。
お話を聴いてあげたり、話し合ったりということで・・・
こころを認め合い・・・
そして今、ついに・・・
嫌がらせはなくなりました。

存在達はみんな優しくなりました・・・。

声達・・・曰く・・・
「愛は憎しみかと思っていたら愛は優しさだった」・・・。
もちろん、大司令症候群の意志も、もうまったくありません・・・。

大司令症候群の声には、惑わされない!
こころをこころとして認め合った結果報告です。

いま声達はおしゃべりで、夜になると
「お話し聴いて欲しい。お話し聴いてほしい。」と来ます。
だから、眠るために、アモバン、レンドルミン、セルシン、デパスを飲んだりしています。

出会えて良かった。と言う言葉をきくたびに、安心がひとつ増えます。

これこそが統合失調病が統合された状態だと、私ははっきりわかりました。
先生も医学の先入観にとらわれず、このような治り方があることを、是非是非全国に広めてください・・・。

林: あなたの病気は悪化しています。
薬をやめたのが原因です。
このままでは危険です。
薬を再開し、主治医の先生にあなたの今の状態をよくお伝えしてください。


昼休みの終わり

もうずいぶんと昔。まだ小学生だったころ。
教室で昼休みの終わりを待っていたら、いつもは私に冷たい担任の先生が血相を変えてやってきた。

「○○くん、落ち着いて聞いてね。お母さんが仕事先で倒れたの。すぐ帰る用意をして職員室へ行きなさい」

驚いてランドセルに手当たり次第に物をつめて職員室に向かった。
校長先生がいた。

「お父さん、いまトイレに行かれているから、すぐに一緒に病院に行きなさい」

校長先生もおちつかない様子で、しきりに腕時計を見ていた。

「あの…先生…」

言わないといけない。

「うちにおとうさんはいないんですけど…」

母子家庭だった。

大騒ぎになった。
男が誰だったのか、今でもわからない。


一人っ子

一人っ子の私は、両親にとても愛されながら育ってきた。

特に母は私を可愛がり、 私が何か失敗をしたり、ちょっとした悪さをしたりしても怒ったりせず、
ニコッと笑って許してくれた。

親としては少し甘いのかもしれないが、
私はそんな母が大好きだった。

ある日、学校から帰って来て、リビングでテレビを見ていると、電話が鳴った。

母からだった。

「真奈美、今スーパーに買い物に来てるんだけど、冷蔵庫にニンジンがあるか、ちょっと見てくれる?」

私は「ちょっと待ってね」と言いながら、キッチンに向かった。

そして冷蔵庫を開けようとした時、あるモノが目に留まった。

冷蔵庫の上に置かれた、一冊の手帳。

あれ?と思いながら、私は冷蔵庫を開け、ニンジンがあるかないか確認して母に伝えた。

電話を切った後、私は、そっとその手帳を手に取った。

手帳は、母が昔から肌身離さず持ち歩いている物で、ずいぶんボロボロだった。

私は小さい頃から、この手帳の事が気になっていた。

何をしても笑って許してくれた母。でも覚えている。

私が何か失敗や悪さをする度に、母がこの手帳にサラサラと何か書いていたのを。

そしてそれは今も・・・

私はずっと、何を書いているのか知りたかった。

好奇心に支配された私は、罪悪感など微塵も感じずに、パッと手帳を開いた。

無作為に開いた手帳、その真ん中の方のページ、そこにはこう書かれていた。

『今日の真奈美 -3点 残り168点』


でんわ

夜居酒屋でバイトしてた頃、残業してたらいつもの電車に間に合わなくて、途中の寂れた駅までしか帰れなかった時があった。

その日は給料日前日で全然金なくて始発出るまで公園で寝てたんだけど、寒さで腹壊しちゃってトイレに行ったの。

そしたら少しして隣の個室に人が来たんだけど何か電話しながら入って来たみたいで話が聴こえて。

外からは車の音とかするんだけど、トイレの中かなり静かだから相手側の声も微妙に聴こえたんだ。

「ん?うん、分かってるって。あはは!あ、ごめんごめん。何?」

『・・なった・・い つか・・』

「あぁ、そーだなー。大丈夫だって。気にすんなよ。え?おう。あははっ!やだよ。なんでだよ!ふふ。うん。そーなの?」

『たしか・・かけ・・し・・』

「そうだっけ?おう・・あー、そうかもしんね わり!ちょっと待ってて」
で、トイレから出ようとした時、隣から。かさっ、しゅっしゅっ。と言う音と同時に、はっきり相手側の声が聴き取れた。

『ったでんわばんごうは げんざい つかわれておりません  ばんごうをおたしかめのうえ おかけなおしください  おかけになったでんわば』

「もしもし?わり。タバコ。で、何だって?ああ、そりゃおま」

急に怖くなり駅まで走って、駅前で震えながらシャッターが開くのを待ってた。

ただ物凄く気味が悪くて怖かった。思い出すとまだ夜が怖い。


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