223 :1/3:03/06/03 21:43
俺が中学生の頃だから、随分昔の話だ。
当時はスキャン機材とか普及してなかったろうから、
(超音波スキャナ。妊娠中の検診で形質に異常があると、ナチュラルに堕胎を奨められるという)
俺の住んでた田舎では、奇妙な風貌の人をワリと良く見かけた。

俺の家から中学までの通学路に、鬱蒼と繁った木々に囲まれたボロアパートが建っていた。
そこはどうやら、奇妙な風貌の人達が住んでいる所らしかった。
中学では噂になっていたし、実際そこにいろんな人が入っていくのを、俺自身見かけていた。
そのアパートの道の脇には、用水路が流れていた。
幅は2m程度で、覆いも段差もなかった。道の脇にいきなり1m落差の用水路があったわけだ。
そのアパートの前を通るのは、正直気持ち悪かったが、
そこを通らないと、中学まで十分近く余計に歩かなければならなかった。
だから俺たち生徒は、仕方なくその道を使っていた。

中学に通い初めて最初の梅雨時分。その朝も雨が降っていた。
俺がちょうどそのアパート前の道を、中学へと向かっていた時、
反対側から、傘を差したオッサンが自転車で走ってきた。
そして、ゆるいカーブを曲がりきれずに、そのまま自転車ごと用水路に落っこちた。
その時、俺の周りには、同じ中学に通う生徒が沢山いた。
スーツ姿のオッサンが用水路にはまって、ヨロヨロ這い上がって来るんだ。
そりゃもう、揶揄嘲弄の声が飛びまくる。と、思った。
だが騒いでいるのは、俺たち一年だけのようだった。
二、三年の連中は、明らかに見てみぬフリをしていた。
良くある事故でつまらない、という風ではなかった。口元が強張っていた。
とにかく関わり合いになりたくない、そんな風で足早にその場を去っていった。
笑っていた俺たち一年の声に混じって、小さくギャヒヒヒヒィ~という耳障りな笑い声が聞こえた。
それは用水路向こうの、例のアパートから聞こえてきたようだった。

224 :2/3:03/06/03 21:44
俺たちの中学はいわゆるマンモス校で、一学年が七百人近くいた。
それだけいれば、中にはすごくかわいい女の子もいるわけだ。
学年ナンバーワンと評される彼女と、俺は同じクラスにいた。仮にN子としよう。

オッサンが用水路に落ちてから、一週間ぐらい経ったある日。
俺は例のアパート横へ続く道を通って、下校していた。
と、チリンチリンと自転車のベルが鳴り、
「工藤(俺)君、バイバーイ!」と、自転車に乗ったN子が俺を追い越していった。
N子は声もかわいらしかった。
そのままN子を見ていると、突然自転車が蛇行しはじめた。
そして大きく振れたかと思うと、用水路に自転車ごと落っこちた。
俺は慌てて駆け寄り、用水路からN子を引っ張りあげた。
N子はまるで目の焦点が合っていなかった。
俺が大丈夫かと尋ねると、「何だか落っこちた方が楽しいような気がして~」と、うわ言の様につぶやいた。
そこはアパートの真横だった。
木立の向こうから、またあの耳障りな笑い声が聞こえたような気がした。

俺はその後も、その道を通り続けた。
下校の時刻はまちまちだったが、少なくとも月に一度は、用水路に落ちる人を見かけた。
場所はだいたい、そのアパートの横に決まっていた。
俺が見ていない分も含めれば、かなりの人がそこで用水路に落ちていたはずだ。

N子とは二年でクラスが別になったが、頻繁に用水路に落ちていたようだった。
N子は自転車を止め徒歩にしても、用水路とは反対の大通りを通るバス通学にしても、
時々わざわざ、用水路に落っこちに行っていたようだった。
かわいらしかったN子は見る影もなく痩せて、陰気な風だった。
彼女のそばによると、用水路の生臭い臭いがした。
そして、誰もN子に関心を持たなかった。イジメすらなかった。
さすがに両親が心配したらしく、三年になる前にN子は転校していった。

225 :3/3:03/06/03 21:45
先日、弔事で久しぶりに田舎に帰った。
実家のある旧市街地は、すっかり寂れてしまっていた。

俺が田舎を離れている間に出来たのであろう、馴染みのない喫茶店で茶を飲んでいた時、ふと窓の外を見た。
道の向こうを、親子連れらしい3人が歩いていた。
男は脚を引きずるように歩いている。明らかに奇妙な風貌の人だった。
そして妻と思われる女は、流行遅れのセーターを着込んでいたが、かなり痩せていた。
そして生気のないその横顔に、N子の面影をみた。
子供もやはり奇妙な風貌だった。十歳ぐらいだと思うが、良く分からなかった。
一瞬、溶けたような顔をした子供と、目があったような気がした。

N子のその後やあのアパートの事を、地元の友達に聞いてみたが、皆一様に口が重かった。
明らかに忘れたがっているようだった。
アパートはずいぶん前に火災で焼失し、その後、用水路もコンクリートのふたで覆われているという。
N子が今どうしているかは、誰も知らなかった。