Archive for 5月, 2010

髪寄りの法

祖父が子供の頃の話し

祖父は子供の頃、T県の山深い村落で暮らしていた。
村の住人のほとんどが林業を営んでおり、山は彼らの親と同じであった。
そんな村にも地主が存在しており、村の外れにある大きな屋敷に住んでいた。
地主は林業を営むわけでもなく、毎日をのんびりと暮らしていた。

まさしく牧歌的な暮らしの村であるが、村特有のルールも存在していた。
そのルールというのが
「毎月3日は髪取り師以外は地主の家に近づいてはならない」
「屋敷に来る客人に声をかけてはならない」
というものだった。
毎月3日の朝に村外から数名の人間が訪れては、夕方には帰っていく。
物心付く前からそのルールを教え込まれていた祖父は、何の疑問ももたずに
ルールを守り続けていた。

ある日、村の外から一人の男が流れ着いてきた。その男をAとする。
男は村のはずれにある屋敷から、少し離れた場所に勝手に小屋を造り住み着いたそうだ。
村人たちは不審人物であるAに誰がこの村のルールを説明するのかを会議し、祖父の父親(B)がその役をする事になった。
Bは早速Aの小屋へ赴き、この村のルールを説明した。このルールを破れば、大変な事になるので必ず守って欲しいと念
をおした。

俺が不思議に思ったのが、なぜ村から追い出さなかったのかだが、祖父曰く
「村の人間の半数が流れ者なので、追い出すという考えがなかった」
だそうだ。

話を戻す。

AはBの説明を聞き、ルールを守る事を了解した。
そしてAが訪れてから最初の3日が訪れた。
この日も20代の男女と40代の男一人が村へとやってきた。
3日にやってくる者はみな、身なりもよく良家の出である品をもっていたそうだ

この村に何故村外の者が訪れるのか。
その秘密は「髪寄りの法」にある。
この髪寄りの法とは、人間にかけられた呪いや付き物を落とす術であり
この村の地主がその術を代々受け継いでいたらしい。
術はその名の通り、髪の毛に邪念を寄せ取り除くというもの。
しかしその髪を取り出す場所は被術者の腹部から取り出される。
その髪を山へ封印にいくのが、地主から洗礼をうけた髪取り師である。

その日もいつもと同じように時間が流れ、屋敷の裏口にそっと置かれた包み紙を
髪取り師が持ち、山へと封印にいった。
だが、村に来て日の浅いAは村のルールは聞いていたがそれを無視し、屋敷の側の
雑木林からその様子をうかがっていた。
Aは髪取り師が持ち去った包み紙に、何かいいものが入っているものだと考え
髪取り師の後をつけた。

髪の封印場所は山の中腹に建てられた祠であり、この祠の管理も髪取り師の仕事であった。
Aは髪取り師が祠の中に包み紙を入れ、山を下りたのを確認すると祠のなかからそれを
取り出した。中を確認すると血で濡れた一束の髪の毛。Aはその髪を放り出し逃げ出した。

その次の日、Aの小屋が燃えた。

Aは小屋から逃げ出し無事であったが、不審に思った地主がAを呼び出した。
Aは昨日の事を話さなかったらしいが、地主にはAについているモノが見えていた。
地主は、死にたく無ければ、お前が髪取り師を受け継げ。それを拒否すれば命はない。と
Aにすごむが、Aはそれを拒否。その日の内にAは村から追放された。

コレで終わり

それから数日後、地主の屋敷が全焼し一家が死亡した。
その焼け跡からはAと見られる遺体も発見された。
村人はAが放火し、そのまま逃げ遅れたのだろうという結論になった。
さらに数日後、髪取り師が祠に行くと、祠は完全に破壊され中にあった髪も
すべて持ち去られていた。
真相は不明だが、村人たちの話ではAは祠を破壊し、髪をもって屋敷にいった。
髪の呪いや邪念が一気にたかまり、屋敷炎上を引き起こしたんじゃないかという事になった。

地主がいなくなってからは、村外の者からの収益もなく次第に村がさびれていき
やがて捨て村となっていった。

それいらい祖父は髪の毛に対し強い恐怖を覚えるようになったと
ツルツルの頭を撫でながら話してくれた。


祖母のした事

私の一番古い記憶は三歳。木枯らしの吹く夕方、一人でブランコを漕いでいるところ。
手も足もかじかんで、とても冷たい。でも今帰れば母に叱られる。
祖母に迎えに来て欲しい、ここはいつも来る公園なのだからきっとすぐわかるはず。
そのうち、風に揺られてるのかブランコに揺られてるのかわからなくなる。

私は母に虐待されて育った。
飲み物をこぼした、ちょっと足音をたてて歩いた、声を出して笑った。そんな理由ですぐ折檻された。
気が済むまで殴られる、安全ピンでお尻を刺される、冬に水風呂に入れられる。
煙草を吸わされ背中を灰皿にされる、食事を抜かれる、家に入れてもらえない。
私に向かって拳を振り上げる母は、喜んでいるように見えた。
父は見て見ぬ振りをした。
失敗して叱られ何度も蹴られる私の横で、テレビを見ながら食事をしてた。
終わると、「お母さんの言うことをちゃんと聞きなさい」と言った。
助けてくれたのは祖母だけだった。折檻の傷の手当てをして、一緒の布団で眠ってくれた。
私をかばい、代わりに蹴られてしまったことすらある。それを見た時、恐ろしさに泣いてしまった。
お前のせいで痛い目にあったと叱られるんじゃないかと思った。
それ以上に、もう自分を嫌いになるんじゃないかと思って、恐怖で息が詰まりそうだった。
二人で部屋に戻ると泣きながら祖母の足に湿布を貼り、自分は殴られても大丈夫だから、いいからと
必死に訴えた。何より祖母に嫌われるのが怖かった。
祖母は私を抱きしめて泣いた。そしてそのまま一緒の布団で眠った。

あれは多分五歳頃。ふと夜中に目を覚ますと、隣で眠ってるはずの祖母がいなかった。
きっとトイレに行ったんだろうと思い、そのまま目を瞑った。
でも、しばらく経っても戻ってこない。
もしや母に何かされたのかと思い、そうっと起き上がり、襖の外の様子を伺った。
何も聞こえない。音をたてないように襖を開け、祖母を探しに出た。
真っ暗な家の中、どこにもぶつからないようにと注意していた。気づかれればまた殴られる。
トイレにも台所にも、居間にもいなかった。
もしかして自分を置いて出て行ってしまったのだろうかと思い、居間を通って玄関に靴を見に行こうとした。
庭に面した窓のカーテンが、少し開いている。
外に人が立っているように見えたので、隙間から覗いてみた。

祖母がいた。こちらを向いて、無表情に突っ立っている。
良かった、私を置いて行ったんじゃなかった。安堵で胸が一杯になり、カーテンを開けようとした。
すぐに思い留まった。何かおかしい、いつもの祖母と何かが違う。あんな気味の悪い祖母は見たことない。
何がおかしいのかはすぐにわかった。
祖母は犬の首を持っていた。どこから捕まえてきたのだろう、薄い茶色で、舌がでろりとたれている。
大きさは多分中型くらい、それでも首を切るのは大変だっただろう。
犬の頭も、足元に転がった体も、祖母も、赤く染まっていた。
しばらく突っ立ったままだった祖母はやがてだるそうに犬の胴と頭を持ち、どこかに行ってしまった。
見てはいけないものを見たんだろう。私は震えながら布団に戻り、
どうか祖母を元に戻して下さいと神様に祈っていた。神様なんていないとわかっていたけれど。

目が覚めると、祖母は隣で眠っていた。
元に戻っていなかったらどうしようと思い、起こさずにずっと見つめていたら、目を覚ましてくれた。
「おはよう、おなか空いたかい?」そう言って笑ってくれた祖母は、いつもの祖母だった。
あぁ良かった。安心して、うん、おなかすいた。と返事をした。
祖母から漂う生臭い匂いは、気にしないことにした。

家の中を、狐や狸や犬のようなものがうろうろしているのが見えるようになった。
父も母も気づいていないようなので、自分にしか見えていないんだろうと思った。
ある日祖母にそのことを言うと、とても嬉しそうな顔をした。
それは何をしてるんだい?と聞かれたので、ありのままを答えた。
父と母にまとわりついていて、それがくっついてると二人ともとても気分が悪そうだと。

夜中に母が叫ぶことが多くなった。昼間も青い顔をしている。どうやらあまり眠れないらしい。
母の体調が悪くなってから折檻はだいぶ減ったが、いらいらしているのだろう。
体中ライターの炎であぶられ、手のひらに研いだ鉛筆の芯を何本も差されたりした。
その頃から祖母に、玄関から出入りしちゃいけないよと言われた。
理由は問わなかった、大好きな祖母の言いつけだ。
祖母と私は裏の勝手口に靴を置き、そこから家に出入りするようになった。

家の中が生臭くなってきた。特に父と母から強く臭うようだ。
二人とも奇麗好きだったのに、だんだん身なりに構わなくなってきた。
爪が伸びて、中に黒いものが詰まってる。服もなんとなく汚れてる。お箸を使わない。

父が独り言を言うようになった。
何を言ってるのか聞きたくて、後ろからそっと近づいてみたが、聞き取れない。
父はとても臭い。それは獣の匂いなのか、父の下着に溜まった排泄物の臭いなのかわからない。
母が金切り声をあげる。空中に向かって包丁を振り回す。
そういえば最近、折檻されていない。もう母には私が見えていないのだろう。

七歳の時、市役所や病院の人が来て、父と母を連れて行った。
祖母は宜しくお願いしますと頭を下げていたが、みんなが帰ると私を振り返ってにっこりした。
私もにっこりした。大好きな祖母と二人だ、これでもう何も怖くない。

十三歳の時に祖母は脳梗塞で倒れ、体が不自由になってしまった。
家の中にいた獣達は、皆祖母にまとわりついていった。
そう告げると祖母はため息をつき、きっと返ってきたんだねぇと呟いた。
それから二年、痴呆でゆっくりと子供に戻りながら、祖母は他界した。
全身に原因不明の湿疹と蕁麻疹が広がり、掻き毟りながら逝ってしまった。
遺体を解剖して、死因は蕁麻疹で喉が腫れた窒息死だったそうだ。
原因不明の湿疹と蕁麻疹は、動物アレルギーからくるものだと言われた。
動物を飼ったことはなかったけれど、わかりましたと返事をした。

私はまだあの家に住んでいる。相変わらず勝手口から出入りしている。
獣達の姿も、獣のようになってしまった祖母の姿も見える。
祖母が何をしたのかは聞かなかったが、きっと私の為を思ってのことだろう。
どのような姿であれ、祖母が側にいてくれる。それだけで嬉しい。


はじめてのかていか

7がつ5にち
きょう、はじめてかていかをならった。ケンちゃんは「かていかはおんなのかもく!」といってせんせいにおこられた。
せんせいは「いまはだんしもさいほうやおりょうりができないといけないじだい」といった。
はじめてのじゅぎょうはおりょうりだった。1ぱんはごはんをたいた。2はんはおみそしるをつくった。3ぱんはカレーをつくった。ぼくは3ぱんです。
じゃがいもやにんじんをほうちょうできるときはドキドキした。「てをきらないようにゆっくりね」とせんせいがいった。
じゃがいもやにんじんやたまねぎやおにくをゴトゴトにた。カレーのルーをいれた。しばらくしたらカレーができた。やさいやおにくをきるときはきんちょう したけど、そのあとはかんたんだった。
がっこうのかえりにびょういんにいった。ママにカレーをつくったといったら、にっこりわらった。ママがいえにいなくてさびしいといったら、もうすぐいえ にかえれるといった。うれしかった。
「そのときはいもうともいっしょよ」といった。
いもうとは、ともよというなまえだ。ママはともよをうんだので、びょういんにいる。
「ともよもカレーをたべるかな」ときいた。
もうちょっとおおきくなったらたべるとママはいった。
おおきくなったら、ともよにいっぱいカレーをつくってあげようとおもった。

7がつ8にち
ママとともよがいえにかえってきた。パパはにこにこしている。
ぼくはママとパパにカレーをつくってあげようとおもってそういった。
「いいから、おとなしくしていなさい」
パパがそういって、なにもさせてくれなかった。
ママにあそんでもらおうとおもった。でも、ママはずっとともよとあそんでいる。

7がつ10にち
きょういえに、しんすけおじさんとかおりおばさんとおじいちゃんとおばあちゃんがきた。おしょうがつみたいでうれしかった。しんすけおじさんとあそんで もらおうとおもった。だけどあそんでくれなかった。かおりおばさんにほんをよんでもらおうとおもった。だけどよんでもらえなかった。おじいちゃんとおばあ ちゃんもあそんでくれなかった。みんなともよとあそんでいる。
「おへやにかえっておとなしくあそんでいなさい」
みんなにそういわれた。

7がつ12にち
こんどのにちようびに、またおじさんやおばさんやおじいちゃんやおばあちゃんがくる。みんなともよとあそびにくる。ぼくとあそんでくれない。
「たべちゃいたいくらいかわいいって」
ママはともよをだっこしていった。パパも「そのとおりだよ」といった。
「よかったねともよ」とママはいった。

7がつ18にち
はやおきしてカレーをつくった。やさいはじょうずにきれた。おにくはむずかしかった。やわらかくてプニャプニャしてて、ちがいっぱいでた。
「ともよー!ともよー!」
ママがともよをさがしてる。もうすぐみんながくる。カレーがぐつぐつにえている。
「ともよー!ともよー!」
たべちゃいたいぐらいかわいいともよ。


たまげた相談

他板でみつけた
ある医者のHP掲示板でのやりとり。
オカルトではないが(サイコか?)
文字通り死ぬほど洒落になってなかった。
出だしがこれ。

お名前: 悩む母親
3才の息子のオチンチンを切り取って女の子にしたいのですが、良い方法を教えて下さい。
[2000年12月27日 5時59分32秒]

でもってレス。

お名前: 恭子
まさに世紀末といった相談ですね。
どうして、そんなに女の子に変えたいんですか。
理由を教えてくれたら、安全で簡単で確実な方法を教えますよ。
[2000年12月29日 21時7分43秒]

お名前: 悩む母親
恭子さんへ。
息子はもう女の子として育てています。夫の浮気が原因で離婚しました。
あんなふうな男になるのは許せない。ちょうど女の子のような名前なので
離婚して2人で住むようになってからは、女の子の服を着せて
女の子として育てています。早くオチンチンを切り取ってあげないと困るのです。
安全で確実な方法を教えてください。すぐ実行します。
[2001年1月3日 7時46分24秒]

お名前: 恭子
悩める母親さんへ。
お気持ち、よくわかりました。
男の子を女の子に変える安全で簡単で確実な方法を教えます。
オチンチンを切り取るのではありません。
タマタマを潰すのです。
オチンチンはお医者にあとで切り取ってもらいます。
お母さんの手で潰せますか?
潰せるのなら、場面設定とやり方を教えます。
[2001年1月6日 19時56分39秒]

お名前: 悩む母親
恭子さん、メッセージを待ってました。
私の手で息子のタマタマを潰せばいいんですね。できますよ。
カンタンです。ウズラの卵のゆで卵で何度も練習したことあります。
場面設定とやり方を教えて下さい。

この後、自分の息子も性転換させたいという「あき」が登場する。一方でこの頃起こっていた新生児連れ去り事件を憂いている。

お名前: 恭子
(略)
さて、タマタマ潰しの場面設定とやり方を説明します。
まずはいつものように夕方頃お風呂に入って下さい。
息子さんにとっては男性として最後になるので、念入りにオチンチンを洗ってあげて下さいね。
いよいよです。息子さんを浴槽のヘリのところに座らせ、左右のタマタマを両手で握って、
浴槽のヘリと手の間で一気に押し潰します。思い切り体重をかけるようにすれば必ず潰れます。
ツルンと逃げてしまいやすいので、引きちぎる方向へ引きちぎるつもりで力を入れましょう。
一気に2個とも潰さないと1個ずつだと可哀想ですよ。
かなり痛いらしいので(女にはわかんないけど)、息子さんは倒れ込むように苦しみます。
息子さんの頭をぶつけないように、タマタマを潰したらすぐに抱きかかえてあげて下さい。
すぐに体の水分を拭いてパジャマなどを掛け、自分も服を着込んで119番します。
救急隊の人には、浴槽のヘリに乗って遊んでいて足が滑り股間を激打したことにするのです。
事故ということにしないと、あとあと面倒なので、この方法がベストです。
悩む母親さん、あきさん、できますか。
できるのなら、病院に着いてからの対応を、また書きます。
[2001年1月10日 23時31分51秒]

その後、ちょっとした煽りが入る。男性から、もう一度考え直して欲しいというレスも入るが、「悩む母親」の決心は固い。

お名前: 恭子
(略)
タマタマが潰れていれば、すぐに摘出手術がおこなわれるでしょう。
潰れが不完全だと摘出してもらえないので、確実に2つとも完全に潰すことが大切ですよ。
医者は、偽のタマタマを陰嚢に入れて、将来子供は作れないが、
思春期に男性ホルモンを投与して男として生きていくことをすすめると思います。
お母さんはすぐに「だったら女の子にしてほしい!!!」と強く訴えてください。
(略)
担当医が女性の場合、強く強く訴えれば、これで8割ぐらいの確率で性転換してもらえます。
担当医が男性だと、抵抗があるのかな、3割ぐらいしか性転換してもらえる可能性はありません。
性転換してもらえなかった場合は最後の手段です。
病室で寝ている(寝ているときにしてあげてくださいね)息子さんのオチンチンを、
カッターナイフで切断してください。
オチンチンを引っ張るようにしながら小刻みに早くナイフを動かして、一気に切り取ります。
病院ですから、すぐに処置してもらえるので大丈夫です。
病院側はスキャンダルな事件を嫌うので表沙汰にはならないでしょう。
タマタマを摘出し、オチンチンまで切断され、母親の希望が強いわけですから、
ほぼ100パーセント、息子さんは女の子にしてもらえます。
実行できますか。
[2001年1月18日 23時6分27秒]

お名前: 悩む母親
(略)
病院での対応方法、よくわかりました。いざとなったら、私の手で切り取ってあげる
のですね。担当医が女性だといいな。さっそく今晩、実行しようかしら。
(略)
[2001年1月19日 18時17分22秒]

ここから次々と反対意見が出てくる。しかし、

お名前: 悩む母親
(略)
私と一緒に、息子さんのオチンチン切断を実行しませんか。
私は必ず実行するつもりでいます。

お名前: もう悩まない母親
(略)
私はこの掲示板で賛否を聞いているわけではありません。良い方法の情報を
求めているのです。
今から、息子とお風呂に入ります。本当にありがとうございました。
[2001年2月10日 19時16分6秒]

お名前: 悩んでいた母親
お久しぶりです。本当にご心配をおかけしてごめんなさい。
運命の決行から1週間たちました。娘(もう息子ではありません)は元気にしています。(略)
本当に皆さん、お世話になりありがとうございました。心配をかけてごめんなさい。
これから娘と苦労をともにして私も幸せになりたいです。

お名前: 悩んでいた母親

もしも将来、娘が自殺するようなことがあったら、私も一緒に死にます。

これを初めて見たのは5月の末だった。余りのことに言葉を失った。
その後上記のスレをみて落ち着いたのだが、
考えてみると、一連の掲示板内容の中に、「自分も息子を女の子にしたい」
という第3者の書き込みがあった事の方が数段恐ろしく感じた。
「悩む母親」と違い、第3者は他者からの説得や干渉を受けない。
もしかしたら、今この時点で決行しているかもしれない。
私は、ある小児科医院で働く友人の看護婦に電話をかけてみた。
掲示板での内容を話した上で、こういうことを聞いたことはないかと訪ねてみた。
すると、彼女は暫く黙った後、「この間その手術をして、そのまま母親は警察に行った」
と言いだした。
私は会って詳しい話が聞きたいと懇願した。彼女は守秘義務があるといって渋っていたが、
世間話として聞いてもらいたいとなんとか承諾してくれた。
子供は急に熱を出したりすることも多いため、そこの医院では深夜診療も行ってる。
彼女の勤めている医院に患者がやってきたのは夜10時過ぎだった。
28歳(保険証で確認)の女性が毛布に5歳の息子をくるんで車でやってきた。
子供は時々痙攣を繰り返し完全に意識を失った状態であったという。
ただごとではないと感じた関係者はすぐに服を脱がせた。
彼女は今でもたまに夢に見るという。
子供の陰嚢がグレープフルーツ大に腫れ上がり、鬱血して真っ黒になっていたのだ。
医者は母親に何があったのか問いただしたが、母親は
「室内滑り台から落ちて、テーブルの角にぶつけた」と繰り返した。
母親の目が完全に座っていたのが怖かったという。
治療の準備をする際に、母親から保険証を受け取ったのだが、その住所は
医院から3つも離れた町だったそうだ。この母親はわざわざ遠い医院まで
自家用車で運んできたのだ。

医者が、ここでは専門の設備がないので救急治療をした後
設備のある病院へ搬送して人工の睾丸を入れるという旨を
母親に伝えたところ、母親は血相を変えて「ここで切り取って女の子にして下さい。
できないのなら自分で他の病院に連れて行く」といった。
医者は、救急治療だけでもさせて欲しいとなんとか説得した。
治療の間彼女が母親の側にいたのだが、緊張の糸が切れたのか急に本当の経緯を話し始めた。

どうしても女の子が欲しかった母親は息子を女の子のように育てていたのだが、裸になれば男の子だとすぐにわかる。
完璧主義の自分にはそれが耐えられなかったという。
何度も包丁で切り落とそうとしたのだが、血が出るのを見ると
子供がかわいそうでどうしてもやめてしまっていたのだという。(実際、男の子の竿の根本には何本も躊躇い傷のようなものがあったそうだ)
その後、あるHPで安全に女の子にする方法をみて
その通りに実行してみた。
竿部分は女性器を形成するのに使うため傷つけないようにする。またここはちょっと切っただけでも大量に出血し、命の危険性が高い。男性ホルモンや精子をつ くる睾丸のみを手早く一気に潰してしまえば安全だし、今後声変わりしたりすることもなくなる。
汗などで滑らないようにベビーパウダーをはたいたあと、
万が一破裂して汚さないようにラップでくるみ、なるべく痛みを感じないように酔い止め薬を飲ませて眠らせた。
そして、すりこぎを寝かせて陰嚢にあてがい、体重をかけて一気に押し潰した。
潰す手応えが軽かったので失敗したのかなと思ったが、子供が大声で叫んで嘔吐し痙攣し始めたので成功したと思ったそうだ。
夜なのであまり騒がないようにまた痙攣で舌を噛まないように口にタオルを入れ、保険証を持って車に乗った。
近くの病院に連れて行って近所の人に男の子だとばれては困るので、遠く離れたこの医院まで連れてきたのだという。

看護婦であることも忘れて友人は母親に
「これは虐待ですよ!」と言った。
(本当は、余計に追い込んでしまうためそういうことを言ってはいけないそうだ)
虐待なんてこれっぽっちも思わなかったらしく、母親は驚いて
「自分は子供を可愛がって手をあげたこともないし、
子供も大人になったらおちんちんがなくなってお母さんみたいになるんだと思っていた。
大きくなったら身体検査などで裸になるし、虐められるかもしれない。
早くやっておいたほうがいいとHPにも書いてあった」といった。
しかし、「虐待」という客観的な言葉にショックを受け、
「ごめんなさい。ごめんなさい」とな泣きだしたそうだ。

その後母親は医師と児童相談所を通して警察に出頭した。
子供は幸い一命を取り留め、親戚の家で「息子」として暮らしている。
ただし、陰嚢に入っているのは人工の睾丸であり、
またその時のショックで重度のチック症になってしまったため、
手放しで喜ぶことはできず、彼女の医院から時々主治医の元に連絡して経過を聞いているとのことだ。
また、この件に関しては、母親が精神的に追い込まれた一種の心身喪失状態であっただろうこと、
そして何より、子供の将来を考えると公にすべきではないだろうということで
表には一切出ていないし今後も出ることはないだろう。
だが、最近こういう事例が確実に増えているという。
死亡事故として報道されることがない事を願う。


謎の箱と禍々しいもの

G県H市のある村に、ある家族が住んでいた。
寝たきりで99歳にもなる祖父、その孫で5歳のA、そしてその両親。
昼間、両親は働きに出ている。
Aはとても好奇心旺盛で家の中を遊びまわっていた。
ある日、Aが何気なくふすまを開けると天井裏に通じる板が外れていた。
家の中にも飽きてきたAはしまってある布団をよじのぼり、そこに入った。
周りは想像以上に暗く、恐怖心が湧き上がった。
しかし、好奇心が勝り更に進んでいった。
しばらく歩き回っていると足元に箱があることに気がついた。
「こんなところにあるくらいだから、きっとすごいものに違いない」とAは考え、入り口のほうに運ぼうとした。
しかし以上に重い。子供の頭ほどなのに10キロはありそうだ。
仕方なく引きずっていくことにした。
だんだん入り口に近づくにつれ、箱の側面が見えてきた。
真っ黒で、ところどころ白い。ふたは黒い紙で固定してあった。
さらに近づく。さらに明るくなってくる。
真っ黒だと思っていた側面は、白い箱に黒い文字がびっしりと
書かれているようだ。ふたの紙も同様。白い紙に文字がびっしり書いてあった。
振り向いて入り口の位置を確認する。あと1m位だ。もう一度箱を見た。
そこで、あることに気がついた。
箱の側面にびっしりと書いてある文字。
それはお経だった。
蓋についている紙はお札だった。

そのとたん、Aの体に恐怖が電気のように走った。
そのとき、前方の暗闇から「ペタ・・ペタ・・」という足音がしてきた。
Aはとっさに「それ」を絶対に見てはいけないと思った。
振り向いて逃げようとしたが、恐怖で足が動かない。
どんどんこっちに近づいてくる。あと少しで「それ」に入り口の光が当たる。
そうしたら見えてしまう。あと少し・・・・・もうだめだ。
と思った瞬間、Aの体は入り口の穴に落ちていき、布団の上に落ちた。
Aが顔をあげると、そこには寝たきりのはずの祖父がいた。
わけもわからず唖然としていると、祖父はいきなり「去れ!!」と叫んだ。
Aは混乱してきた。祖父は再び「もう十分であろう!!」と叫んだ。
祖父の顔を見上げる。しかし祖父はAをみていない。
入り口を凝視している。正確には、入り口にいる「それ」を。
しばらくその状態が続いた。とても長い時間に思えた。
五分ほどして、祖父はAにゆっくり
「後ろを決して振り向かずに、わしの部屋へ行け。いいな。絶対に振り向くな」
といった。
Aはわけもわからずままさっとふすまから飛び降り、隣の部屋を目指した。
そこで呆然と立ち尽くした。
さらに五分後、祖父がよろよろと部屋に戻ってきた。
今にも倒れそうだ。Aは祖父を支え、布団に連れて行った。
祖父は横になると、ため息をつきゆっくりと話し出した。
「A、今のはな・・・わしの・・・」
とまで言ったとき、向こうの部屋でふすまが開く音がした。
そしてまた「ぺタ・・ぺタ・・」という足音が聞こえてきた。

祖父はいきなりAの手をつかみ、布団の中に引きずり込んだ。
99歳とは思えないほどの力だった。
今度は祖父の部屋の扉が開いた。祖父の体はガタガタと震えていた。
そして何かつぶやいていた。よく聞こえなかったが、
「すまない」「許してくれ」「この子だけはやめろ」
と言う風にきこえた。Aはそのうち気が遠のいて目の前がゆれてきた。
そのとき布団の隙間から「それ」の足がみえた。
腐っているかのような紫色でところどころ皮膚がずり落ちていた。
そのままAは気絶してしまった。
気がついたとき、Aは祖父の布団に一人で寝ていた。
時間はあのときから五時間も過ぎている。
祖父は・・・? Aが家中を探してもどこにもいない。
両親が帰ってきて、警察がでてきても見つからなかった。
一週間後どうしても気になり、Aが恐る恐るふすまを開けると、
以前あった入り口は完全にふさがっていた。
Aは安心してふすまを閉めようとした。
そのとき、Aは見てしまった。
厳重にしめられた入り口の戸に挟まっている、祖父がしていたお守りを。


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