Archive for 6月 2nd, 2010

5歳の頃だった。悪夢を見た。
そのあまりの恐怖に目が覚めた。薄明かりの中、天井に吊された電球が見えた。
そして子供ながらに、それが夢であることにホッとして一息ついた。
その時には、どんな夢だったか忘れてしまっていた。ただ、酷く恐ろしい夢だったという記憶しかなかった。

気が付くと、足元で何かがゴソゴソしている。下目使いに目をやると、何かが動いているのが分かった。
ん?と思い、私は上半身を起こした。

今考えると、何者かの力で「引き起こされた」という方が正しいかもしれない。
そして、アイツが居た。これから数十年に渡り戦い続けねばならない悪魔のアイツが。私はそいつと眼前30センチほどで鉢合わせしてしまった。身体を起こし た私の前に、それは居たのだ。

年の頃は、私と同じくらいの子供である。髪の毛がボウボウと伸び放題で、目だけが異様に光る奴だ。

昔の絵巻物に登場する施餓鬼の印象だった。といっても、5歳当時の私に施餓鬼など知る由もない。大人になってから印象が似ていると思ったわけだが。

服までは覚えてない。ただ、手に持っていたものは、今でもしっかり覚えている。
鎌である。草刈りに使う鎌を右手に握り、上目遣いに私をにらみつけていたのだ。
私は恐怖の余り、足を投げ出した恰好で固まってしまった。こんな恰好で金縛りもないだろうが、身動きがとれないのだ。

そいつは、私が動けないのを知ると、手に持っている鎌を誇らしげに振りかざした。
「ヒヒヒヒヒっ」と妙に甲高い声で笑うと、そいつは私の投げ出している足をめがけ、鎌を振り下ろした。
スパッと私の足は、膝から下が切り取られた形になった。血は出てないが切り口から赤い身が見える。
でも、不思議と痛みはない。悲鳴を上げようにも声が出ない。

そいつは、再び鎌を振り下ろした。もう片足も膝の辺りでスパッと切り離される。
どうすることも出来ない私に、そいつは身を乗り出してきた。今度は腕を切り始めたのだ。
私はついにダルマのように四肢を無くしてしまった。その時、私は目が覚めた。
そう。夢だったのだ。あの醜い施餓鬼のような妖怪は夢だったのだ。
今度こそ、いつも見慣れた天井が見えた。

ふと、足元で動くものがある。あれ?変だなと思って身を起こすと。
居た。居たのである。あいつが。
夢の世界から抜け出て、今私の前にいる。
手に鎌を持ち、夢と同じ様に私をにらみつけているのだ。
再び私は身体が硬直し、またあいつが鎌で私の四肢を切り取る。ヒヒヒヒッと笑いながら。
うわっ。なんだこれは! 夢じゃないのか。再び私は目が覚めた。

私は怖々足元を覗いてみた。
今度こそ大丈夫・・・・だろう。
いや、違った。やはり居た。あいつが居た。手に鎌を持って。
そして、さっきと同様、私の四肢を切り取る。
まるで私が怖がっているのが楽しくて仕方がないような様子で。そしてまた目が覚めた。
またまたあいつがいる。
そしてまた、私の手足を切り取る。
いったいどこまで続くのか? 底なし沼の夢の中。夢から覚め、妖怪と出くわし、手足を切られ、夢から覚める。

それを何度も繰り返した。
まるで、夢の中に何層も夢が内包されているような、何段も重なった夢。
私はそこから抜け出せなくなっていた。

いつしか私は諦めともつかぬ気持ちに襲われ、眠りに落ちた。
失神したという方が正解かもしれないが・・・。その悪夢は、一日で終わらなかった。
ある時、ふと目が覚めた。足は大丈夫だろうか? また、あいつがいるんじゃないのか?
そっと手を伸ばして足に触ってみる。太股は・・・あった。
身体を丸くしてもう少し下を探ってみる。膝頭は・・・あった。ホッと一息。
じゃあ、膝下は・・・・・・ない。そこから先は、私の手が空中を泳いでいる。

え?まさか! ガバッと起きた私の目の前には、やはりあいつがいた。目を覚ます前に、私の足は切り取られていたのだ。
ヒヒヒヒヒっ。残忍な愉悦に満ちたその笑い声を聞きながら、私は気が遠くなっていた。

次の日も、また次の日も、一週間ほど悪夢は続いた。

同じ夢、同じ内容、まるで私に念を押すように何度も何度も。私は眠るのが怖くなった。夜中目を覚ますのが怖くなった。ふと目を覚ますと、あいつがいつもの ように足元でモゾモゾしてるんじゃないのか。
その恐怖に、夜目が覚めても自分の足元を見ることが出来なかった。触って確認するのも怖かった。そのまま目をつぶり必死に眠りに就こうと努力した。それが 唯一の手段だったからだ。

しかし、忘れようとしても忘れることのできない悪夢となってしまった。
5歳児の私には、それは恐怖以外の何物でもなく、案の定それ以来トラウマになってしまった。
眠りに就くのが怖いと思うようになったのだ。今では慢性的な不眠症に苦しんでいる。


誇り

うちの婆ちゃんから聞いた戦争のときの話。
婆ちゃんのお兄さんはかなり優秀な人だったそうで、戦闘機に乗って戦ったらしい。
そして、神風特攻にて戦死してしまったそうです。
当時婆ちゃんは、製糸工場を営んでいる親戚の家に疎開していました。

ある日の夜、コツンコツンと雨戸をたたく音がしたそうです。
だれぞと声をかけども返事はなし、しょうがなく重い雨戸を開けたのですが、それでも誰もいない。
婆ちゃんは、それになにか虫の報せを感じたそうで、「兄ちゃんか?」と叫んだそうです。
返事はありませんでした。
その後戦争が終わり、婆ちゃんは実家に戻りました。
そしてお兄さんの戦死の報せと遺品、遺書が届いたそうです。
婆ちゃんは母親、他の兄弟たちと泣いて泣いて悲しみました。
遺書には、お母さんや他の兄弟について一人一人へのメッセージが書いてありました。
婆ちゃん宛には、次のように書かれていたそうです。

「キミイよ。兄ちゃんが天国いけるように祈ってくれ。弁当を食べてから逝くから、空腹の心配は無い。
この国を、日本を頼んだぞ。負けても立ち上がれ、誇りを捨てるな。
まずしくともよし、泥をかぶってもよし。かねを持っても、うまいものを食ってもよいのだ。
ただひとつ心を汚すな。それが日本人だ。心を汚されたときこそ、おこれ。
黄色のりぼんがよく似合っていた。兄はいつも共にある。うつくしくあれ、キミイよ。」

婆ちゃんは疎開先の製糸工場にいるとき、当時出来たばかりの新商品である黄色のヒモを毎日お下げに巻いていたそうです。
お兄さんにその黄色のヒモを見せたことは一度も無かったので、あの雨の日にワタシに会いに来たんだと、婆ちゃんは生涯信じていました。


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