今年の五月の連休に大学のクラブの合宿で八ヶ岳のふもとにある温泉付き合宿所へ行った。
建物は飾りもないコンクリ三階建てでいかにも保養所といった風情だが、後ろには雄大な山と下を流れる清流、そして前には湖となだらかな盆地の景色が広がる 素晴らしい立地だ。
現地集合ということで俺ら学生寮のグループ(同期の奴2人、後輩3人の計6名)が午後早い時間に到着したときはまだ誰も来ていなかった。
がらんとしたロビー。
フロントに行きチェックインする。「えー、○○大バドミントン部の方ですね?11名さまでご予約ですね。お部屋は二階の欅の間と白樺の間、続き間でござい ます。」
おーさすが信州らしい名前やなーと言いながら部屋へと向かう。
売店の前を通り過ぎ階段を上り、二階へ。廊下の突き当たりは非常階段でその右手奥から2部屋が俺らの四日間の我が家だ
狭く長い廊下を進む。廊下の左手はずっと奥まで窓になっていて山々の緑がすがすがしい。
部屋は12畳ほどの和室が2つ真ん中をふすまで仕切られた造りだ。
古い建物で決して綺麗とは言えないが 、こちらも二方ある窓からの眺めが素晴らしい。
「なぁ、もうクラブなんかせんと 、ここで三泊ゆっくりしたいよなぁー。」同期K尾が畳に寝転がって言う。
「お前先輩にしばかれるぞ。まぁ今のうちにゆっくりしとけ。どうせ先輩らは車やから夕方までは来んやろ。」後輩3人は部屋の隅で集まって携帯をいじってい たが、1人が言う。
「先輩、ここめっちゃ電波悪いっスわ。」そりゃ山間だから仕方ない。あー、明日早朝から先輩のキツイしごきが三日間続くのかぁ・・・。
しかし先輩大丈夫かなぁ。五人乗りで京都を明け方に出発して交替で運転しながら来るそうだが。
と、思った瞬間俺の携帯が鳴った。キャプテンのK崎先輩からだ。
「あ、Y田?もう着いたんか?実は途中で・・・して・・・サービスエリア・・・夜中には・・・悪いけど先に飯・・・」途切れ途切れの声。
「今どこなんスか?・・・もしもし?」切れた。
見ると携帯の電波が一本点いたり消えたり
何か胸騒ぎがした。鳥肌が立っている。窓の傍に移動して電波の入る場所を探した。
部屋の皆は俺の様子にちょっと驚いた様子で見守っている。ようやく電波三本確保できる地点を探し当て、着信履歴を押した。「え?!」そんなバカなことって あるのか。
たった今受信したはずのK崎先輩の履歴が三日前になっている。
いや、正確には最後の先輩からの電話は三日前練習の後に飯をおごってもらったときのものだ。
つまりさっきの通話の記録が消えてしまっている。
俺のいやな予感は確実なものになっていた。
とにかくリダイヤルを押す。『お掛けになった電話は、電波の届かないところにあるか、・・・』I山先輩、O野先輩・・・俺は五人の携帯に次々掛けた。
ようやくN川先輩の携帯の呼び出し音が聞こえたが、いくら呼んでも一向に出ない。
俺はフロントに行き、係の人に頼んで考えうるサービスエリアの番号をすべてピックアップしてもらった。
俺の尋常でない様子に係の人も気付いたようで、親切に調べてくれた。部屋へも戻らずその場で片っ端から掛けて、該当する故障車がないか訊いてみる。
その中の1つのサービスエリアの人が、ついさっきこちら方面車線で十数台が絡む追突事故が起こったようだがまだはっきりした情報はない、と告げた。
「まさか・・・」俺はガタガタ震える膝を両手で助けながらようやく階段を上り部屋へと転がるように走った。皆は俺の恐ろしい表情を見て真っ青になってい る。
「せ、先輩が、じ、じ、・・・」あまりの恐怖に歯の根が合わず、言葉が出ない。「事故ったんか?事故ったんやな?」K尾が俺に言う。
俺は呼吸を整えて答える。「まだはっきりわからん。けどやばいことになってるかもしれん。どうしよう。なあ、どうしたらええねん!」すがりつく俺。
皆泣きそうな顔で声も出ない。「警察に訊こう。それが確実や。」
普段から冷静なY野が言い、俺は頷いた。Y野と俺はフロントへ行き事情を伝え、警察に連絡を取ってもらった。
詳しい状況がわかり次第、宿に知らせてくれるらしい。
部屋に戻って連絡を待つ。飯の時間も忘れて皆ただ無言で突っ伏している。俺らの事情を察して、宿の人がわざわざ部屋まで食事を運んできてくれた。
残しては申し訳ないと思い味わうこともできずに食事をしていると、部屋の電話が鳴った。「!」一番近くに座っていた俺は受話器に跳びつく。「もしもし、警 察ですが。○○大の人?えーっと、本日午後3時15分、東名富士インター手前3キロ地点で複数台の追突事故発生しまして、現在のところ救急搬送された方 13名、うち死者7名です。死亡者のうち確認できた方は5名、いずれも○○大の学生と・・・」
力が抜けて受話器を持つことができない。「もしもし?大丈夫ですか?ご遺体は搬送先病院より現在△△台警察署に向かっております。ご家族の方には連絡済で して、こちらに向かっておられます。」
「そう・・・ですか。」
「あのー、非常に申し上げにくいんですが、ご遺体がですね、えー、損傷が激しいものでして、ただ学生証をそれぞれ携帯なさっておりましたので暫定確認はで きておりますが、ご家族の方に最終確認をお願いするわけです。
ご友人の方にはご遺体対面は遠慮いただくということでお願いします。」
「わかりました・・ありがとうございました。」
受話器を置く。俺の周りに集まって耳を澄ましていた皆にも今の報告は聞こえたはずだ。悲痛な面持ちでただ座り込んでいる。先輩・・・三日前一緒に飯を食 い、ビールを飲んだのに。
明日からまた練習で一緒に汗を流すはずだったのに。
俺の脳裏には先輩たちの笑顔が浮かんでは消えた。信じられない。
そんな・・・みんないっぺんに死んでしまうなんて。Y野が口を開く。
「とにかく明日一番で帰ろ。通夜の準備もせなあかんやろうし、俺らも手伝ったろう。な。」その夜は皆なかなか寝付けなかった。
布団に入ってあれこれ先輩たちの思い出を語り合った。
新歓バーベキューや練習試合、思い出は語り尽くせないほどあった。
そのとき携帯が鳴った。
母だった。「伸一?今ニュースで事故のことやってて、もうお母さん心臓止まるかと思ったわ。
K崎さんとかあんたの先輩の人やろ?あんた大丈夫なんか?」母の声を聞いて俺は涙がどっと溢れてきた。
「お母ちゃん、俺、・・・怖かったんや・・・怖かったんや。」そうしてひとしきりただ子供のように泣きじゃくり、「明日帰るから。気をつけるから。」と 言って電話を切った。
流れる涙を枕で拭い、枕元に電話を置いた。そのとき、ふと俺を得体の知れない違和感が襲う。何かおかしい。
ずっと無意識だが心に引っかかっていたことだ。俺はもう一度携帯を開き発信記録を見た。
K崎先輩への最後の発信記録を。先輩からの着信が切れて2,3分後に掛けた
その時間は3時20分になっていた。「K崎先輩!」俺はこらえきれず叫んだ。
恐怖というのではない。ただ先輩にお礼が言いたかった。
「いつも俺に優しくしてくれて、俺にご飯食わせてくれて、怒ってくれて、ありがとうございました、ありがとうございました・・・」