ある農家の話。

ある日、その家の幼い娘が楽しげな顔を浮かべて母親に言った。
「お母さん、お庭にヒヨコがいるよ。」 「ええ? ヒヨコ?」
鶏小屋から勝手に歩いて出てきてしまったのだろうか。以前にも鶏が脱走してしまったことがあり、
それ以来鶏が逃げないようしっかりと柵を作ったつもりだったのだが。
「きっと勝手に小屋から出てきちゃったのね。元いた場所に帰してあげなさい。」
娘は「はーい」と応じると、庭に出て行った。
ヒヨコが気に入ったのだろうか、その日以来娘は鶏小屋で遊ぶことが多くなった。
最近の子供があまり得られない生き物と直に触れ合う良い機会と思い、両親は娘を好きにさせていた。

そんなある日、娘が泣き顔を浮かべながら母親に縋り付いてきた。母がどうしたのか聞くと、
娘は涙をボロボロこぼしながら言った。「ヒヨコがいなくなっちゃった・・・」
しばらくの間、娘はかなり憔悴した様子だったが、やはり子供というべきか、
そのうちいなくなったヒヨコのこともすっかり忘れてしまった。

それから17年後。

上京した娘から電話がかかってきた。
母親が電話を取ると、娘は怯えたような声で一方的に話し始めた。
「お母さん、あのヒヨコが帰ってきたの。」
母親は受話器の前で首を傾げた。
「ヒヨコ? 一体何の話?」
娘はさらに取り乱したようだった。
「覚えてないの? 私が小さい頃庭で見つけたヒヨコよ! あの子が帰ってきたの。」
庭で見つけたヒヨコ。そういえばそんなことがあったような気もする。
しかしあれはまだ幼稚園に上がる前の話ではなかったか。
「そんな話あったような気もするけど・・・帰ってきたってどういうこと?」
しかしそこで電話が唐突に切れてしまった。何度かかけなおしてみるが繋がらない。
結局母親は怪訝な顔をしたまま、娘に電話をするのを諦めてしまった。

娘が死亡したという報せが入ったのは、翌日のことだった。
遺体からは、全身の血と、眼球が抜き取られていた。
後日、警察署で事情聴取ついでにいくつかの遺留品を見せられた母親は、その場に凍り付いてしまった。
部屋の机の上に置かれていたというその小さなメモ帳の切れ端には、曲線のまったくない奇妙な字体でこう書かれていた。

「彼夜子」