Archive for 6月, 2010

放課後のかくれんぼ

これは私の父が小学生の頃に体験した話です。

放課後、いつものように友人5人と学校でかくれんぼをしていました。(早く帰らなければ先生達から叱られる為、数分で終わるかくれんぼを毎日一回だけして 帰っていました)

その日はジャンケンで父が負け、教室の後ろでしゃがみ込み、顔を手で覆いながら30秒数えていました。

「…にーじゅきゅー、さーんじゅ!もーいーいかーい?」

『まあだーだよー』

そう返されたので、また父は数え始めました。

「…よんじゅはーち、よんじゅきゅー、ごーじゅ!もーいーいかーい!」

『まあだーだよー』

今度は遠くからそう返され、今度は早口で数え始めました。

「ごーじゅはーち、ごーじゅきゅ、ろーくじゅ!もーいーいかーい!」

『もーいーいよ?』

何故かすぐ頭上から声が聞こえました。

上には隠れる場所なんてなく、ましてや最後の声は聞き慣れた友人の声ではないのです。

みすみす自分の隠れた場所から声を出すなんて事はしないのです。

いつもなら問い掛けた後に返事がなければ探しにいけるのです。

そのまま父が固まっていると、どれぐらい経ったか、廊下から走ってくる多数の足音が聞こえました。

「あー、もうお前何やってんだよー」

「○○(担任の名前)に先に見つけられたよ、あーあ」

「あーあ」

「おい、聞いてんの!?」

「○○(父の名前)?」

その時父は酷い顔で泣いていた為、すぐ手をどけられませんでした。

恐怖より友人達が来てくれた安堵で泣いてしまったそうです。

普段、泣く事がなかった父の酷い泣き顔を見た担任に驚かれながら、その日は家まで送ってもらいました。

後日、友人5人にその恐怖体験を話すと、それから卒業するまでかくれんぼをしようと言い出す友人はいませんでした。

もちろん、あの時教室には誰も隠れていませんでした。では誰が隠れていたのでしょうか。いや、隠れていたというよりは…

大人になり子をもった今でも、父は『隠れん坊』は禁断の遊びだと信じています。


菜々子ちゃんの部屋

かなり昔だが、まだレベル的に言うとHey! Say! JUMPくらいの時期の嵐がMCをしていた
「Usoジャパン」と言う番組を知ってるだろうか?

その番組の中で、うちの地元にある、ガス爆発を起こし中に住んでいた何人かが死亡した女子寮
と言うのが特集され、学生やらヤンキーやらがこぞって肝試しに侵入したりしていた。

その女子寮と言うのが特殊な作りで、とりあえず入口が左右に二つ、そこから階段を上っていくと真ん中が吹き抜けでワンフロアーに3部屋ほど、それの4階建 てになっていて、屋上まで行くと丁度真ん中に吹き抜けが続いて、一応柵越しに顔は合わせられるが左右に行き来は出来ない作りになっている。(わかりにくく てごめん)

その女子寮が特集されて数ヶ月。

やはり出ただの見ただの言い出すやからが多数いて、そいつの友達、またその友達と噂に尾鰭(おひれ)がついて、地元中がその話で持ち切りとなった。

その時に一応僕らが聞いた話はこうだった。

なんでも、右の入口から入って三階の廊下突き当たりの部屋。

ここの部屋だけ生活感たっぷりに家具やら衣服やらが綺麗に残っていて、その部屋に残っていた遺留品から出てきた名前が「菜々子」

その菜々子さんが住んでた部屋の中から電話をかけると、女の泣き声が聞こえるやら、帰りに事故を起こすやらと、どこにでもあるような在り来りの都市伝説 だった。

もちろん、僕らも噂の真偽を確かめるため、その部屋に突入して電話をかけたり、友人に至っては壁や家具を破壊し暴れていたが、帰りも事故に遭うことなく、 鼻で笑いながら女子寮の事は徐々に僕らの頭の中から忘れさられていった。

地元でも女子寮騒ぎが落ち着きだしたある夏、友人数人と公園に集まって話をしていた時、ふと一人が悪ふざけを思い付き、それを実行することにした。

その計画とは、集合に遅れて来ると言っていたM君を一人で菜々子ちゃん部屋に突入させると言ったものだった。

早速その計画の発案者HがMに電話をかけ、公園から今女子寮に向かっているからお前も直接女子寮の方に向かって来い!と嘘をつき
着いたら連絡くれ!とだけ伝え電話を切った。

その時は、Mに一人で女子寮をある程度回らせてからネタばらしと言った爆笑コースの可愛いいたずらだったのだが、後にこの事件は本気で笑えないものとなっ た。

電話をかけてから30分くらい経過したときに、ハメられていることを知らないMから着信が入った。

僕らも一人でテンパっているMのあわてふためく姿を想像し、クスクスと笑いながら電話に出た。

だが、当の本人のMの様子が少しおかしかった。

電話をとるなり
「お前ら逃げてないで早く出て来いと」わけの解らないことを言ってきた。

ここで発案者のHが
「菜々子ちゃん部屋で待ってるから早く来い」とだけ言い乱暴に電話を切った。

しかしいくら待ってもMからの電話はなかった。

流石に心配になった僕らはMに電話をかけてみた。

電話をかけてすぐに「通話」の文字がディスプレイに表示されたので、慌てて携帯に耳をやると、縄跳び?みたいな(ヒュンヒュン)と言った音と、狂ったよう な女の笑い声、それとMの「ごめんなさい、ごめんなさい」と言った半泣きの声が耳に入ってきた。

僕らは一瞬どういう状況か解らずフリーズした。だが、Hがヤバイ!!と言って突然走り出したので、とりあえずみんなHの後に続いて行った。

10分くらいで女子寮に到着し、みんな手分けしてMの捜索にとりかかった。

だが以外と早くM発見の報告が入り急いでその場所に行くと、Mは菜々子ちゃん部屋の中でうずくまりながら、しきりに「ごめんなさい」と呟いている。

そしてなぜか背中には薄汚れた麦藁帽子が乗せられていた。

どうしていいか解らず固まっている僕らを横目に、Hが「取り合えずここから連れ出そう」とMの背中に乗っていた麦藁帽子を窓の外にぶん投げたのを合図に、 皆でMを抱え込む形で女子寮を後にした。

最初に集まっていた公園にMを連れていき、少し落ち着いてきた様子のMに事のいきさつを聞いてみた。

Mは最初の電話を受けたあと、すぐに女子寮に向かった。

そして僕らの嘘を信じて一人で中に入ったらしい。

入ってすぐに上の方から話し声や笑い声が聞こえたため、Mは俺達だと思って各階、各部屋を除いて回ったらしい。

だか声はするが俺達の姿が見つからないのでMは一旦僕達に電話を入れた。

そこで菜々子ちゃん部屋に皆居ると信じたMは菜々子ちゃん部屋に走って向かった。

そして「ウラァ!!」と叫びながら勢いよくドアを開けたMの目に飛び込んできたのは、紐のようなものを持った若い女だったらしい。

時間と場所を考えてもここに女一人で居るのもおかしいし、直感的にMはヤバイと思ったらしいが金縛りに会ったように体が動かなくなり、腰を抜かしその場に へたりこんだ。

その女は血走った目でM凝視し、手に持った紐?をこれでもかと言うくらい振り回し、狂ったように笑いながら徐々にMとの距離を詰めてきた。

Mは恐怖で土下座する形で頭を抱え込み、女の笑い声を聞きながら必死に謝っていたとの事。

みんな固まった。

Hに至っては責任を感じ、オイオイ泣いていた。

しかしいつまでも公園に居る訳にはいかないので、その日は一旦解散しようと立ち上がった瞬間、その場にいた全員また固まった。

今の今までMが座っていた場所に、ついさっきHが投げ捨てた汚い麦藁帽子が、ちょこんと置かれていた。

すぐさまHがブチ切れた。

「ふざけんな、誰だ!ぶっ飛ばすぞ!!」

だが投げたH本人も気づいているが、帽子をぶん投げた後は皆でMを公園に連れて来るので必死だったので、誰も帽子を拾いになんか行っていなかった。

取り合えず、帽子をそのままにすることは出来なかったので、コンビニで食塩とライターオイルを買ってきて、皆で手を合わせながら帽子焼いた。

そしてMをHが送っていく形でその日は家に帰った。

次の日の朝早くHから電話がかかってきた。

寝ぼけながら電話をとると、Mが××病院に入院したとの事。

慌てて病院に向かおうとしたが、今は面会謝絶と言うことで、詳しい話を聞こうとHと合流することにした。

Hの話によると昨夜Mを家まで送り、Mの部屋で一服してから帰ろうとしたとき急にMが頭が痛いと呟き、そのままぶっ倒れたらしい。

救急車を呼び両親が付き添ってMは救急病院に搬送された。

詳しい事はHも解らずMの両親の話だと、頭の血管が破裂して今、生死の境をさ迷っている最中とのこと。

Hはその間ずっと病院の外に設置してある小さい祠の前でMの無事を祈っていた。

Mが倒れてから3日後なんとか峠を越えたと両親から聞かされたとき僕達は緊張の糸が切れたことと安堵感で号泣した。

Mはその時の後遺症で少し滑舌が悪くなったが今も元気だ。

ちょっとした悪ふざけのつもりがこんな事になってしまったので、あれから僕達は心霊スポットと呼ばれるところに一切近づいていない。

あれが霊のせいだとは言い切れないが、みなさんも心霊スポットには注意した方がいい。


開聞トンネル

私が大学生だった頃、友人数名と毎年お盆前に肝試しに行くのが お決まりになっていた。

鹿児島でメジャーな心霊スポットの一つに開聞トンネルがある。

その時は、逆にメジャーすぎて行ったことのなかった そのトンネルに行ってみようということになった。

メンバーとしては男三人と私と私の友人の五人。

ちなみにこの五人にはまったく霊感はない。

鹿児島市ないから二時間ほどかかるのだが、その間稲川淳二のDVDを見たりしながら 賑やかにむかっていた。

午前2時過ぎにトンネルに到着。
ゴルフ場のそばにひっそりと真っ黒い口をあけていた。

特に霊感のない私たちは、一度車でなかを通り抜けることにした。
なんとなくお決まりな感じで 中でライトを切ってみたり クラクションを鳴らしてみたりするも 何も起きず そのまま反対側へ。
そのさきは山の中に続くような道だったために 土地勘のない私たちは引き返すことにしました。

でもせっかくなので 懐中電灯を持って 中を歩いてみようと男の子たちが言い出したので 歩くことになりました。

その当時私はそのメンバーの中の一人に恋をしていたので きゃーきゃー言いながら寄り添うように歩いていました。

ちょうど中程まで来たとき、前から別のグループが歩いてきました。

お互いかなりびびりましたが 人間だとわかって 笑いあいながらすれ違いました。

特に何もないままトンネルを抜け、雰囲気を満喫できた私たちは帰ることにしました。

コンビニによったり 車内で話をしたりしながら帰っていると、前方で人だかりができている所がありました。

なんだろうと思い ちょっとよってみることにしました。

ところが 樹の影で一瞬見えなくなった間に 人だかりは忽然と消えていました。

怖かったのですが近くまで行くと 車がガードレールに突き刺さっていました。

中には先程であったグループが乗っていました。

幸いたいした怪我はなく 救急車とJAFを手配して 一緒に待つことにしました。

どうして事故を起こしたのか聞くと、突然誰かが飛び出して来たので、避けようとして事故になったとのことでした。

私は気になったので、他の野次馬の人たちはどうなったのか聞きました。

すると その人たちは真っ青になりながら そんなひと達は見ていないとのことでした。

よく考えると、こんな田舎で午前3時半過ぎに、あんなにたくさんの人が集まってくるわけがありません。

そのあと安全運転で帰ったのは言うまでもありません。


淋しい

ある雪山に助手と撮影に行った。雑誌の仕事だった。

撮影何日か目に助手が怪我をした。
まだ予定枚数撮れてないので、雪山を降りる事は出来ず撮影続行。
助手の怪我は悪化し、何日後かに助手は死亡。

それでも仕事を終えてなかったので山を降りる事が出来ず泊まっていた山小屋の側に助手を埋め、一人で撮影を続けた。

朝、カメラマンが目を覚ますと何故か助手の死体が横にある。

「埋めたはずなのにな…」とまた助手の死体を埋めて撮影へ。

これが何日も続くので、さすがにおかしいと思い、最終日自分の寝姿が写る位置で連続写真が撮れるカメラを設置し、寝た。

次の朝、やはり助手の死体は自分の横にあった。そして下山した。

会社に戻ったカメラマンは、昨夜山小屋に設置したカメラのフィルムを自分で現像した。

そこに写っていたのは、起き上がり、寝袋から出、山小屋から出、助手の死体を担ぎ、自分の横に置く、自分の姿だった。


5歳の頃だった。悪夢を見た。
そのあまりの恐怖に目が覚めた。薄明かりの中、天井に吊された電球が見えた。
そして子供ながらに、それが夢であることにホッとして一息ついた。
その時には、どんな夢だったか忘れてしまっていた。ただ、酷く恐ろしい夢だったという記憶しかなかった。

気が付くと、足元で何かがゴソゴソしている。下目使いに目をやると、何かが動いているのが分かった。
ん?と思い、私は上半身を起こした。

今考えると、何者かの力で「引き起こされた」という方が正しいかもしれない。
そして、アイツが居た。これから数十年に渡り戦い続けねばならない悪魔のアイツが。私はそいつと眼前30センチほどで鉢合わせしてしまった。身体を起こし た私の前に、それは居たのだ。

年の頃は、私と同じくらいの子供である。髪の毛がボウボウと伸び放題で、目だけが異様に光る奴だ。

昔の絵巻物に登場する施餓鬼の印象だった。といっても、5歳当時の私に施餓鬼など知る由もない。大人になってから印象が似ていると思ったわけだが。

服までは覚えてない。ただ、手に持っていたものは、今でもしっかり覚えている。
鎌である。草刈りに使う鎌を右手に握り、上目遣いに私をにらみつけていたのだ。
私は恐怖の余り、足を投げ出した恰好で固まってしまった。こんな恰好で金縛りもないだろうが、身動きがとれないのだ。

そいつは、私が動けないのを知ると、手に持っている鎌を誇らしげに振りかざした。
「ヒヒヒヒヒっ」と妙に甲高い声で笑うと、そいつは私の投げ出している足をめがけ、鎌を振り下ろした。
スパッと私の足は、膝から下が切り取られた形になった。血は出てないが切り口から赤い身が見える。
でも、不思議と痛みはない。悲鳴を上げようにも声が出ない。

そいつは、再び鎌を振り下ろした。もう片足も膝の辺りでスパッと切り離される。
どうすることも出来ない私に、そいつは身を乗り出してきた。今度は腕を切り始めたのだ。
私はついにダルマのように四肢を無くしてしまった。その時、私は目が覚めた。
そう。夢だったのだ。あの醜い施餓鬼のような妖怪は夢だったのだ。
今度こそ、いつも見慣れた天井が見えた。

ふと、足元で動くものがある。あれ?変だなと思って身を起こすと。
居た。居たのである。あいつが。
夢の世界から抜け出て、今私の前にいる。
手に鎌を持ち、夢と同じ様に私をにらみつけているのだ。
再び私は身体が硬直し、またあいつが鎌で私の四肢を切り取る。ヒヒヒヒッと笑いながら。
うわっ。なんだこれは! 夢じゃないのか。再び私は目が覚めた。

私は怖々足元を覗いてみた。
今度こそ大丈夫・・・・だろう。
いや、違った。やはり居た。あいつが居た。手に鎌を持って。
そして、さっきと同様、私の四肢を切り取る。
まるで私が怖がっているのが楽しくて仕方がないような様子で。そしてまた目が覚めた。
またまたあいつがいる。
そしてまた、私の手足を切り取る。
いったいどこまで続くのか? 底なし沼の夢の中。夢から覚め、妖怪と出くわし、手足を切られ、夢から覚める。

それを何度も繰り返した。
まるで、夢の中に何層も夢が内包されているような、何段も重なった夢。
私はそこから抜け出せなくなっていた。

いつしか私は諦めともつかぬ気持ちに襲われ、眠りに落ちた。
失神したという方が正解かもしれないが・・・。その悪夢は、一日で終わらなかった。
ある時、ふと目が覚めた。足は大丈夫だろうか? また、あいつがいるんじゃないのか?
そっと手を伸ばして足に触ってみる。太股は・・・あった。
身体を丸くしてもう少し下を探ってみる。膝頭は・・・あった。ホッと一息。
じゃあ、膝下は・・・・・・ない。そこから先は、私の手が空中を泳いでいる。

え?まさか! ガバッと起きた私の目の前には、やはりあいつがいた。目を覚ます前に、私の足は切り取られていたのだ。
ヒヒヒヒヒっ。残忍な愉悦に満ちたその笑い声を聞きながら、私は気が遠くなっていた。

次の日も、また次の日も、一週間ほど悪夢は続いた。

同じ夢、同じ内容、まるで私に念を押すように何度も何度も。私は眠るのが怖くなった。夜中目を覚ますのが怖くなった。ふと目を覚ますと、あいつがいつもの ように足元でモゾモゾしてるんじゃないのか。
その恐怖に、夜目が覚めても自分の足元を見ることが出来なかった。触って確認するのも怖かった。そのまま目をつぶり必死に眠りに就こうと努力した。それが 唯一の手段だったからだ。

しかし、忘れようとしても忘れることのできない悪夢となってしまった。
5歳児の私には、それは恐怖以外の何物でもなく、案の定それ以来トラウマになってしまった。
眠りに就くのが怖いと思うようになったのだ。今では慢性的な不眠症に苦しんでいる。


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