御葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました。
御陰様で、私の子、共々、やっと「お墓」に葬ってやれることができました。
子宮等の事情で、子宝に恵まれない方々に対して偏見をもたらせてしまいまし
たことを深くお詫び致します。
私も、あなた方と同じですが、今、言ったように、子供が産めない理由で、子
供を殺すようなことをする筈がありません。
では、どうして真理ちゃんをあやめたかについて告白いたします。
私は、私の不注意からなる不慮の事故で、5才になる、たった一人の子供を亡
くしてしまいました。高齢と切開の事情で、今までの目の前にいたその子供を
みると、むしょうに、手が届かなくなる圧迫感にかられました。無念の一語で、
子供をふとんに寝かせたままその日が過ぎ、頭の中もぼやけてきました。
何を思ってか、砂糖湯だとか、湯たんぽを買いに行くのは、なぜか、看病のこ
としか頭になく。それでも、いつの間にか、防腐剤まで買ってきていました。
子供を、いつも寝ているようにして寝かしたので、いつのまにか硬くなった子
供の両手を合わせてやることさえ出来なくなっていました。この時程いけない
と思ったことはありませんでした。せめて着がえだけでもしてやろうと、大き
めのパジャマを用意し、上着をハサミで切って、とりのぞき・・・すると、体
に赤い斑点ができていました。虫が喰って入いった形跡などないのに、まるで
日の丸のように、判子でも押したかのように、赤い斑点が出来ていました。
「変わってしまうんだなあ。」と思いました。
やがて子供の顔が、老人のようになってゆきました。このことは、私と境遇が
同じ、あの難波伸一様なら御存知と思います。
ひきつったしわが体全体にでき、あのこちこちに硬かった体が、今度は水のよ
うに、ぶよぶよに柔らかくなってゆきました。とても、この世の臭いとは思え
ない程の強臭。
口もきけなくなった子が、始めて私に訴えたのです。「どうして。」と。
「ごめんなさい。お母さん、お前がずっと寝ていると思ったの。」
自分の子が死んだのに、どうして私は、自分の子を埋めてあげなかったのでし
ょう。いつまでもひとの姿でいないことは知っていたのに、いったい何をして
いたのでしょう。私は、床下に穴を掘って子供を埋めました。でも、周囲の人
が、その不審に思ってくれるでしょう。「あずけている」等と、いつまでも通
じるわけがありません。数か月後に、二人で住んでいた所をそっと出てここま
で移って来ました【子供を一緒にです。】
やはり、あの団地で事を起こすには、団地に顔を出していなければなりません。
自分に、よそ者の雰囲気があっては、まず、真っ先に怪しまれます。団地で、
「ひとがさらわれていったぞ。」と思わせるには、私が最初から安全圏に居る
ようにしなくてはならなかったので、私は既に、この団地に顔身知りなのです。
もし私が捕まった時、皆さんは、私を見て驚かれるでしょう。
今野さん、残念ながら私は、あなた方の身近に居ます。近くが遠いのです。
私は、引っ越して来た家の床下に埋めた子供の隣りに、真理ちゃんの骨を埋め、
これで、やっと、ほっとしました。これで全てが終ったのです。
それが、しかしです。
やがて、群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。
やはり骨だけだったので、鑑定をしても、それが誰のものなのかはわからなか
った。
しかし、「県内で、他に不明の子がいない」という理由で、「その骨を明子ち
ゃんのものとしてもよい。」という発表があった。
私のように、後のなって骨を運んで行った人が居たのかもしれない。去年、捜
索しても何も無かった河川敷に明子ちゃんの骨があった。
そして、発表の後、明子ちゃんの両親は、御葬式をだした。やはり、明子ちゃ
んだと限らなくても両親というものは、そういうものなのです。私は、この事
で、ある決心をし、計画をたてたのです。我が子の骨を、今野宅の葬式として、
正式に「お墓」に入れてもらおうと思ったのです。
この埼玉で、不明が初めて起こったのは、真理ちゃんだ。もし、真理ちゃん宅
のそばで、骨が見つかれば、群馬同様、「県内で、他に不明者がいないこと」
から、「この骨が真理ちゃんのものである。」と発表すると確信した。
当然、全く関係ない正美ちゃんのことが関与してこられても困るので、私は持
てる限りの物証を添えて骨を送った。
私は送る前に骨を焼きました。私にとって「真理ちゃんの骨ではない。」とい
う発表は絶対に困るからです。段ボール箱に私の子の骨を入れ、真理ちゃんの
歯数本と、体の骨を少し入れて混ぜました。もしも届いた後、「真理ちゃんの
ものではない。」と発表されてしまうと、この私の子供の骨が、決して「墓」
に入ることなく、また、永久に、私の手にも帰って来なくなる。私にとって全
てが賭けだったのです。
私はできることなら、神にさからってでも、あと15年は捕まりたくないと思っ
ています。これは私の願いごとなのです。
私は、神に斗いを挑まなくてはなりません。
(1989年3月11日)