Archive for 2月 2nd, 2011

宮崎勤【犯行告白文全文】

御葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました。
御陰様で、私の子、共々、やっと「お墓」に葬ってやれることができました。
子宮等の事情で、子宝に恵まれない方々に対して偏見をもたらせてしまいまし
たことを深くお詫び致します。
私も、あなた方と同じですが、今、言ったように、子供が産めない理由で、子
供を殺すようなことをする筈がありません。

では、どうして真理ちゃんをあやめたかについて告白いたします。
私は、私の不注意からなる不慮の事故で、5才になる、たった一人の子供を亡
くしてしまいました。高齢と切開の事情で、今までの目の前にいたその子供を
みると、むしょうに、手が届かなくなる圧迫感にかられました。無念の一語で、
子供をふとんに寝かせたままその日が過ぎ、頭の中もぼやけてきました。
何を思ってか、砂糖湯だとか、湯たんぽを買いに行くのは、なぜか、看病のこ
としか頭になく。それでも、いつの間にか、防腐剤まで買ってきていました。

子供を、いつも寝ているようにして寝かしたので、いつのまにか硬くなった子
供の両手を合わせてやることさえ出来なくなっていました。この時程いけない
と思ったことはありませんでした。せめて着がえだけでもしてやろうと、大き
めのパジャマを用意し、上着をハサミで切って、とりのぞき・・・すると、体
に赤い斑点ができていました。虫が喰って入いった形跡などないのに、まるで
日の丸のように、判子でも押したかのように、赤い斑点が出来ていました。
「変わってしまうんだなあ。」と思いました。

やがて子供の顔が、老人のようになってゆきました。このことは、私と境遇が
同じ、あの難波伸一様なら御存知と思います。
ひきつったしわが体全体にでき、あのこちこちに硬かった体が、今度は水のよ
うに、ぶよぶよに柔らかくなってゆきました。とても、この世の臭いとは思え
ない程の強臭。
口もきけなくなった子が、始めて私に訴えたのです。「どうして。」と。
「ごめんなさい。お母さん、お前がずっと寝ていると思ったの。」

自分の子が死んだのに、どうして私は、自分の子を埋めてあげなかったのでし
ょう。いつまでもひとの姿でいないことは知っていたのに、いったい何をして
いたのでしょう。私は、床下に穴を掘って子供を埋めました。でも、周囲の人
が、その不審に思ってくれるでしょう。「あずけている」等と、いつまでも通
じるわけがありません。数か月後に、二人で住んでいた所をそっと出てここま
で移って来ました【子供を一緒にです。】

やはり、あの団地で事を起こすには、団地に顔を出していなければなりません。
自分に、よそ者の雰囲気があっては、まず、真っ先に怪しまれます。団地で、
「ひとがさらわれていったぞ。」と思わせるには、私が最初から安全圏に居る
ようにしなくてはならなかったので、私は既に、この団地に顔身知りなのです。
もし私が捕まった時、皆さんは、私を見て驚かれるでしょう。

今野さん、残念ながら私は、あなた方の身近に居ます。近くが遠いのです。
私は、引っ越して来た家の床下に埋めた子供の隣りに、真理ちゃんの骨を埋め、
これで、やっと、ほっとしました。これで全てが終ったのです。
それが、しかしです。
やがて、群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。
やはり骨だけだったので、鑑定をしても、それが誰のものなのかはわからなか
った。

しかし、「県内で、他に不明の子がいない」という理由で、「その骨を明子ち
ゃんのものとしてもよい。」という発表があった。
私のように、後のなって骨を運んで行った人が居たのかもしれない。去年、捜
索しても何も無かった河川敷に明子ちゃんの骨があった。

そして、発表の後、明子ちゃんの両親は、御葬式をだした。やはり、明子ちゃ
んだと限らなくても両親というものは、そういうものなのです。私は、この事
で、ある決心をし、計画をたてたのです。我が子の骨を、今野宅の葬式として、
正式に「お墓」に入れてもらおうと思ったのです。

この埼玉で、不明が初めて起こったのは、真理ちゃんだ。もし、真理ちゃん宅
のそばで、骨が見つかれば、群馬同様、「県内で、他に不明者がいないこと」
から、「この骨が真理ちゃんのものである。」と発表すると確信した。
当然、全く関係ない正美ちゃんのことが関与してこられても困るので、私は持
てる限りの物証を添えて骨を送った。

私は送る前に骨を焼きました。私にとって「真理ちゃんの骨ではない。」とい
う発表は絶対に困るからです。段ボール箱に私の子の骨を入れ、真理ちゃんの
歯数本と、体の骨を少し入れて混ぜました。もしも届いた後、「真理ちゃんの
ものではない。」と発表されてしまうと、この私の子供の骨が、決して「墓」
に入ることなく、また、永久に、私の手にも帰って来なくなる。私にとって全
てが賭けだったのです。

私はできることなら、神にさからってでも、あと15年は捕まりたくないと思っ
ています。これは私の願いごとなのです。
私は、神に斗いを挑まなくてはなりません。

(1989年3月11日)


連続幼女誘拐殺人事件 宮崎勤が新聞社に送った犯行声明全文

連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤が今田勇子と名乗ってで新聞社に送った
犯行声明文と犯行告白文の内容です。

【犯行声明文全文】

今野まりちゃん宅へ、遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です。
この、真理ちゃん一件に関しては、最初から最後まで私一人でしたことです。
私がこうして真実を述べるのには、理由があるからです。
まず、あの段ボールに入った骨は、明らかに真理ちゃんの骨です。
その証かしを立てます。

まず、どうやって連れ去ったかを述べましょう。
去る8月22日、私は、私には、どうしても手をのばしても届くことのない子供
を、今日一日は自分のものにしたい思いにかられ、入間ビレッジの8号棟裏に
車を止め、あのプールでは、親に送り向かえをされない、一人で行き帰りをす
る子供達の方が多いことを、日頃から知っている私は、そのプールの出口付近
に一人で立っていました。

すると、真理ちゃんと、兄弟の男の子と二人が出て来て、ポストの所で別々に
なり、真理ちゃんは、一人で家に帰る様子でした。水着で歩いて行くので、家
が近い筈だとにらみ、つけ回す距離も短くてすむと思ったのです。
・・・思った通り、真理ちゃんは家へ入りました。母親も中に居たようです。
さて、私は、母親の顔を見てから立ち去ろうと思い、7号棟入口付近に立って
いましたが何と真理ちゃんが、すぐに出て来たのです。

・・・そして、真理ちゃんが歩道を渡ると私は確信したので、私は、通りを走
って、歩道橋の向こう側から走ってのぼり、上で真理ちゃんを待ち伏せ、言葉
をかけて、真理ちゃんをつかまえます。うまくいったというより、女同志でし
たので、真理ちゃんは怪しまなかったと説明した方が適切でしょう。
話しが、思ったより、思い通りにまとまり、「私が、車のクーラーを先に行っ
て、かけているから、少したったら来てね。」と言って、先に車へ行き、乗っ
て待った所、すぐに真理ちゃんは一人で来ました。

そして、車を出しました。さすがに、「私をどこに連れてくの。」と、いつ聞
かれるかひやひやしていましたが、急に、「私、泳ぎたいの。」と、真理ちゃ
んが言い出したのです。願ってもない展開でした。即座に、「おばさんもちょ
うど、川へ行きたかったところなの。」と、口を合わせました。

・・・とある川に着き、車を降り、二人で歩いて川まで行きます。やはり数人
の人とすれちがいました。が、私達が、親子に見えたのでしょう。一人も怪し
む人は居ませんでした。

ここに証しの一つを立てましょう。新聞やテレビで、よく真理ちゃんの写真が
掲示されましたが、プールからあがった真理ちゃんのぬれた髪は、その、どの
写真の髪型のものでもありません。これは私しか知らない事実であります。
つまり、たとえ私達を目撃した人が、真理ちゃんを見たにしても、“テレビで
お捜しの真理ちゃん”を見ていないのです。

そこで、真理ちゃんを泳かせ、真理ちゃんを見守るのではなく、私達二人を誰
かが見ていないかどうかを見守ります。居る様子はなく、来る様子さえありま
せんでした。すると、誰も来そうにないという気が集中して、異様な程に、胸
が高まってくると、なぜかモヤモヤしてきました。
そして、子供を産むことが出来ないくせに、こうして目の前に自由な子がいる
という、自分にとっての不自然さが突如としてぶり返し、「このまま真理ちゃ
んを家に帰しては・・・」という思いのよぎりと、「今なら誰も見ていない」
という思いのよぎりが交差し合い、モヤモヤした、とめどもない高なりが一気
に爆発し、目の前の水を武器に、私は、真理ちゃんの髪の毛をつかみ、顔を川
へ沈め、決して自分が、いいというまで、頭を水面から上げさせませんでした。

・・・さあ、今度は隠さなくてはなりません。私は、近くの、背たけ以上もあ
る夏草の茂みの中へ、だっこをして持って行き、そこへ置いて逃げました。
走りながら、おしゃべりをしていると、雨が急に降ってきました。その時、私
に、口実が一つ増えました。「雨が降ってきたから、入間川じゃない川へ行こ
うね。」と言い、さらに、理由良くして、団地から遠ざかります。

とある川に着き、車を降り、二人で歩いて川まで行きます。やはり数人とすれ
ちがいました。が、私たちが、親子に見えたのでしょう。一人も怪しむ人は居
ませんでした。

そこで、真理ちゃんを泳がせ、真理ちゃんを見守るのではなく、私たち二人を
誰かが見ていないかどうカを見守ります。居る様子はなく、来る様子さえあり
ませんでした。すると、誰も来そうもないという気が集中して、異様な程に、
胸が高まってくると、なぜかモヤモヤしてきました。そして、子供を産むこと
ができないくせに、こうして目の前に自由な子がいるという、自分にとっての
不自然さが突如としてぶり返し、「このまま真理ちゃんを家に帰しては・・・」
という思いのよぎりと、「今なら誰も見ていない」という思いのよぎりが交差
し合い、モヤモヤした、とめどもない高なりが一気に爆発。

さあ、今度は隠さなくてはなりません。私は、近くの、背たけのある夏草の茂
みの中へ、だっこをして持って行き、そこへ置いて逃げました。

真理ちゃん宅に段ボールを置いた後の報道以来、犯人は今まで遺体を隠し持っ
ていたと思われていますが、とんでもありません。いちいち持ち運ぶ余裕など、
犯人にあるわけがありません。私は、つい最近まで、私しカ知らない場所で、
真理ちゃんを持ち続け(置き続け)ていたのです。

では、どうして真理ちゃんの遺骨を運ぶようなことをしたのかを説明します。
真理ちゃんを手にかけた翌日、ニュースで「真理ちゃんが不明となり、まだ見
つかっていません。」と聞きました。「ああ、まだ、あのままなのか」と思う
と同時に、「行ってみようかよそうか」の迷いが消えたので助かりました。
ところが別の番組で「真理ちゃんの母親が寝込む寸前」だと聞かされた時は、
今まで「真理ちゃんに悪いことをした。」とだけ思っていたのが、初めて「真
理ちゃんを可哀そうに」と思いました。
私は、今の今まで、一人で苦しんできました。正美ちゃん、絵梨香ちゃんの事
件が起こりました。おそらく、私の事件に、触発された誰かが、面白半分に起
こしたのでしょう。テレビで父親が、「(死んでいても)早く見つかって良か
った。」と、話しているのを見て、初めて私にも何か決心じみたものが芽ばえ
ました。「夜ならば、真理ちゃんの遺体を、そのうちにみつかりそうな場所ま
で運べるかもしれない。」と思いました。

そして、やはり、また、やろうかよそうかと迷い続けてきましたが、先日、や
っと決心が着き、実行することにし、現場へ行きました。
ところが、どうでしょう。てっきり、冷たくかたくなった人間がそこに居ると
思っていたのに、何とそこには、真理ちゃんの骨だけになっているではありま
せんか。私は、思わず「ギャーッ」と悲鳴をあげそうになる程、近づくのもい
やになり、もう私は何があってもたずさわるものかと一目散さんに逃げました。

ところが逃げながらも、故か一つ何かが頭に浮かんだのです。「骨なら箱に入
る。骨だから箱に入れて、人に見られても運んで行ける。」と、急に、利点が
頭に浮かんだのです。そして、逃げるための走りが、実行に移す(箱をとりに
ゆく)急ぎ足へと変わったのです。今の今まで、どうにかして、両親に知らせ
たくてしかたがなかったのですが、今回こうして、真理ちゃんが骨になってい
さえしなければ、家まで帰そうなんて気にはならなかったです。

これは明らかに、真理ちゃんの骨です。遺骨を焼いていたら自然に骨は崩れて
ゆき――人間は骨になると、まず、その骨は、予想以上に小さくて、少なくな
るんですね。箱には、拾った骨を全て入れたつもりです。
今、この一件が、「恨み」だとか、「いたずら」「いやがらせ」「挑戦」だと
か言われていますが、全く違います。私は、あくまでも、真理ちゃんを「帰し」
に来たのです。

私はただただ真理ちゃんを帰しに行ったのです。ですから早く、真理ちゃんの
御葬式をあげてやって下さい。あれが真理ちゃんなのです。本当なのです。
誠に身勝手ながら、私は、やはり捕まりたくはございませんが、このようなこ
とは、もう決していたしません。
先日、テレビを見て、母親が警察から誤報を聞き「これでまた待つ希望が持て
ました。」と話しているのを見た時に、これは、きちんとすませてあげなけれ
ばいけない。このままでは、本当に永久に真理ちゃんに気付かずに、家族は一
生を終わってしまうと思い、これだけはと、急いで声明文を送った次第です。

あの骨は、本当に真理ちゃんなのですよ。

(1989年2月10日、11日)


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